個人・個体とは何か? また志向性を持つのは個人だけか?
←この記事の関心に近い
このテーマに興味を持ったのは、イアン・ハッキング『言語はなぜ哲学の問題になるのか』で、将来の認識論から認識主体 (個人としての) の概念は追放されるだろう (知識の担い手は個人ではなく社会になる) みたいなことが書いてあったから、個人単位ではない知識や心に興味を持ったため。 ハッキングは、ヘーゲルや、ポパーの世界3を参照していた
個体、個人という存在者を所与とせず、説明を試みるとどうなるか。
個人より大きい集団という単位、個人より小さい遺伝子や時点などの単位との関係はどうなっているか。
個別化の原理
同値類の構成方法
同一性条件
「心について機能主義が正しいとすると、アメリカ合衆国や人類全体といった集団も、考えや目的といった心的状態を持つことになってしまうのではないか」という議論
中国脳、ガイア仮説
サーモスタットは心を持つ
個人の統一性 (unity of individual)
個人を1つのものとしているのはなにか
アメリカ合衆国は単一のエージェントとしては扱えないか?
c.f. ハイエク「国は組織ではなくorderなので信念や目的といった志向的態度を帰属するのは誤り」
To employ Hayek’s (1978) terminology, states with multiple sovereigns are not organizations, but orders comprised of interacting organizations.
The former can be modeled as goal-oriented, meaning they have an objective function they seek to maximize, subject to some constraints. The latter, however, is not goal-oriented; it is a mistake to think of the state as a whole as having a teleology when it contains multiple sovereigns (Wagner 2016). Orders frequently have durable properties that can be analyzed using social scientific tools, however. But we must guard against the temptation of conflating those properties with any sort of intentionality.
vs. Unitary Actor Assumption
The unitary actor assumption treats states as a single entity that tries to maximize national interest, broadly defined.
c.f. コンドルセのパラドックス
は、国際関係論におけるリアリズムのように国という単位を合理的アクターとして扱うのは間違っているとしている (たとえば軍拡競争のゲーム理論的モデル化では、国を合理的アクターとみなしている)。
また、個体だけでなく遺伝子もエージェントとして認めるべきか?
それはなぜか?
志向的説明の単位は、特定の時点における個人か? それとも一定の持続する個人か?
マイオティックドライブ
逆になぜ個体にはUnitary Actor Assumptionが成り立つか?
Unitary Thinker Assumption
矛盾を避け、整合性を保つ単位としての個人(ブランダム)、対立の単位としての個人(利己的な遺伝子、誘惑される意志)
適応の単位としての個体(利己的な遺伝子)、志向的説明の単位としての個人(デネット、デイヴィドソン)
ブランダムはカントの統覚の超越論的統一性と結びつけている
解釈主義: デイヴィッドソンのチャリティ原則に基づき、各個体を合理的主体として解釈できるように個体を分ける。(自己の分割は不合理性への対処のためのデイヴィッドソン自身の提案である)
(ex. ピコ経済学、利己的な遺伝子、モジュール仮説、マーヴィン・ミンスキー「心の社会」)
解釈主義的に、会社や遺伝子などのほうがより個人より心を持った存在であると解釈できる可能性がある
信念や欲求を帰属する単位は個人か?それとも、ある時点における個人か?という問いは、信念や欲求に整合が付くなら前者でいい、として回答できるか(解釈主義的回答)
たとえば書き残したものの解釈による信念の帰属。
整合性が取れないときは、「前期ウィトゲンシュタイン」と呼ぶみたいに分ける
生き物が個体という単位を形成するのは進化の結果?
「免役は自他を分ける」
ゼミに教授誰も来なかったとき、「みんな誰か他の教授1人は来ると思って欠席したのが偶然全員になったんじゃない?」って説があって、集団の振る舞いが個人個人の目標と はなれる例として合成の誤謬みたいで面白いとおもった
https://gyazo.com/70bb09b28e2f7e698409675427442381
ある人々の集まりが、なんであれ殴り合いで決めた結果を集団の顕示選好とすることができるかもしれない
(もしある人々が囚人のジレンマにおちいっているなら、「囚人のジレンマに陥ることをその集団が望んだ」とみなす。
Molochの効用関数
Moloch 型 社会厚生関数
最大化するとナッシュ均衡が得られるMoloch型社会厚生関数というのはあるか
I remember back in the… spring of 1981, I think it was. I asked my professor, William Thomson, visiting from Rochester, roughly this: The utilitarian social welfare function is Ω = U(1) + U(2) + U(3)… The competitive market economy maximizes a market social welfare function Ω(m) = ω(1)U(1) + ω(2)U(2) + ω(3)U(3)…, where the ω(i)s are Negishi weights that are increasing functions of your lifetime wealth W(i)—indeed, if lifetime utility is log wealth, then ω(i)=W(i). Market failures drive wedges between what the economy achieves and what it could achieve.
log xの微分は1/xなので、その逆数はx。つまり、効用関数がlogの場合、市場は収入で重み付けされた効用の加重和を最大化してるとみなせる。
アマルティア・センの最低限のリベラリズムみたいなのを導入したときの社会選好関係は囚人のジレンマがあればそれをそのまま反映するという意味で Moloch 型社会選好と言えるのでは
パレート原理を満たさない社会選好関係 (関数) ってことになるね
囚人のジレンマで(裏切り, 裏切り)が最大の社会厚生になるような社会厚生関数
支配された戦略を取ってるものは選好のランキングで下になるようにすればいい
個人について顕示選好を考えるのも、欲求同士の殴り合いの結果に過ぎないと考えることができるかもしれない
この考えからすると、自分を縛るためにセイレーンのようにコミットメントを利用するのは、自分の言語を司る脳の部位が他の部位を裏切ってスパイか陰謀家のように他人を利用して他の脳の部位を支配しようとしているということになる
そもそも理性ってやつは他の脳の部位を支配したがるものだが、ここでは他者を利用してそれをやろうとしている
双曲割引と「心の社会」 (複数の脳の中の小人) 的考えはどちらも
アクラシアを説明する
1人の人間に複数のエージェント的なものを措定する
という共通点があるが、しかしお互いにどう関係するのかはよくわからない。
構成員の誰も望んでいるわけではないとしても、組織の本来の趣旨や目的を根拠に集団は行動しうる?
状況論
関連
「延長された表現型」、自己の境界
ピコ経済学
ヘーゲル
認識論の社会化、外在主義
ポパーの世界3
拡張された心、拡張された信念
哲学若手にて、2日目最後のスロットで、「集合を福利を持ちうるか」を発表します。
まだ蓄積のないトピックですが、ありうる批判を想定しつつ、集合的福利の擁護を試みます。
また、倫理学、メタ倫理学、政治哲学、法哲学、社会科学諸分野に重要なインプリケーションを持ちうることにも触れます。