本の要約なのかユーザー自身の考えなのか分からないテキスト
少し前から気になっていることがある久住哲.icon
結論から言う
どこからが本の要約でどこからがユーザー自身の意見や調査内容なのかを分かるように区別したほうがいい久住哲.icon
引用するとか
ここからここまでが要約だと分かるようにするとか
例えば、「要約すると次のようになる」と書いてから、要約の箇条書きを下にぶら下げるとか
「要約すると次のようになる」という行よりもインデントレベルが深いものは要約なんだナと、範囲が分かるようにするとか
アープラノートのページで、本の要約なのかユーザー自身の認識なのか明示されていないケースが目立つ久住哲.icon 例えば、「社会的アイデンティティ」というページで書かれていることが《本の内容の要約》なのか《その本を読んだアープラノート参加者の認識の表明》なのか判然としない たぶん本の要約だろうと思っている久住哲.icon
確信は得られない
それらの本を自分では読んだことがないから確認できていない
参考:<書名>と書いている
これはそれが「要約ではない」ことの証となりうる久住哲.icon
ある本を参考に自説をまとめたということだろうから
予想では要約じゃないかと思う
気づかれていないかもしれない
本の要約です。自分に自信がないのでめったに自分の考えを表明しません。上は気づいていなかったくま子.icon
私はあれだと、あれが本の要約なのか(アープラノート内の)誰かの言葉なのか、第三者から見て分からないと思いました久住哲.icon
しかしもし今のアープラノートのコンセプトが「みんなの共有メモ帳」という認識なのであればどちらかと言えば内部向けと言えるのであり、それらをはっきりさせる必要があるのか正直疑問が残ります。分かりにくいのは申し訳がないです。
「はっきりさせる必要があるか」について疑問を持つことは理解できます久住哲.icon
別に出版物じゃないし
ほとんど全部が要約で全く同じ文章ではなく似た表現を使って変えてるだけという感じです。他のWebサイトの記事を参考にパーと見て変えてるので自分の考えとかはほとんど含まれていないです(本当はそのwebサイトのURLも載せないといけないのは分かっているんですが面倒だったので載せていないことが多い)。
それは「パクり」に当たりませんか?久住哲.icon
たぶん当たると思う。だけどこれもみんなの共有メモ帳というコンセプトであれば問題がないような気がするけれど、剽窃にあたるのでは?という指摘であるならもしかしたらそうかもしれないし自分が書く記事全体まで及ぶ問題になってしまう。
これは要約ですって明言して、こっからここまでが要約って分かるようにしておけば、パクりではなくなると思うのですが久住哲.icon
他の人の考えや仕事を紹介しているってことになるから
そうですね、その努力を怠っているからこれは剽窃では?と言われると自分は何も言えなくなる感じです。まあ自分のページはヤバかったら削除でもどうとでもしてください。大量にあるのですが。
2023/2時点では放任方針ですし、削除はされないと思います久住哲.icon
「うるせえなくそじじい」と思うかもしれませんが、今までのを編集するとかは超しんどいし、今後要約とか明言するようにすればいいと思う久住哲.icon 以前の記事も修正するべきだし、それをするとかなりの手間がかかるから個人的にはページの削除の方が早いんですがそのページの削除に関しても俺は面倒くさがりなのでお任せしたい感じです。
そういうのめんどいですよね久住哲.icon
これ言われたら面倒だろうなあと思って私もずっと最近はこのこと明言してこなかったんですが、そういう忖度は不健全だと思い今回ページ作った久住哲.icon
うん、もしかしたら自分以外の人間にも当てはまる問題だろうし今後自分のような人間が出てこないとも限らないからそういう意味でもこのページは重要だと思います。
まあもうアープラノートでは書かないつもりだから残された自分の記事の処理については任せます。
記事をどう処理するべきかという話はしていない久住哲.icon
この後、くま子さんはアープラノートを抜けてしまった。私は「私が追い出してしまった」という業に気づく。すると、普通の人ならば、自分の行為の結末を忖度せず、書きたいことを書きたいように書いていいのだろうかと心を揺さぶられるだろう。言葉を多くしても理屈を多くしても、甲斐はない。ただ言ってしまって、言ってしまったからには起こるべきことが起こる。
いやいやw、もう消した文章だったけどこの流れでそれはやめてほしい。俺は誰のせいでもなくそろそろ自分のメンタル的に潮時かなと思ったので抜けるだけ(今度こそもう帰ってこない覚悟)。今度こそ消えるからな!(フリとかではなく) 命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。
🍵
あれ、いるやん笑
ここおもろいcman.icon
このタイミングだと久住哲.iconがくま子.iconさんと喧嘩してくま子.iconさんを追放した感じになっちゃうじゃないか〜
まあそうなのかもしれないけど。
カミュの『シーシュポスの神話』に次のような文章がある
新聞はしばしば「ひと知れず煩悶していた」とか「不治の病があった」とか書きたてる。一応もっともに思える説明である。だがじつは自殺の当日、絶望したこの男の友人が、よそよそしい口調でかれに話しかけたのではなかったか。その友人にこそ罪がある。そんな口調で話しかけられただけで、それまではまだ宙に浮いていた怨恨や疲労のすべてが、一時にどっと落ちかかることがありうるのだから。
新潮文庫p15
「じゃないか〜」とコミカルな雰囲気を出しているが内心すごく腹が立っていた久住哲.icon
誤解を避けるため書き添えておくとくま子さんには戻ってきてほしいと思っている久住哲.icon
くま子さんは心労が重なっているご様子なので、今はゆっくりして編集する気持ちが湧いたらまた一緒にやりやしょう~!🍯 久住さんも気になることを教えて下さってありがとうございます!最近開いてなかったノート会議の議題にしてみるのはどうでしょうか?こひつ.icon
Discordにて「方針1」となったのを前提にこのページを作ったので、少なくとも私は、議題として提出はしないでしょう久住哲.icon スマホだと読めなくなるため
事柄の性質上、本の内容と読み手がそこから得た認識との区別はつけづらいとは思う久住哲.icon
本であれば流れがあるので、「この段落は他の人の著作の内容の要約なのだナ」と分かったりする
「〜はそのように述べている」といった表現がそれを補強する
Scrapboxは、ある意味流れがないので、文脈に頼ることができない
「要約であることを明確にしたほうがいい」を議題にしない理由
Discordにて「方針1」となったのを前提にこのページを作ったので、少なくとも私は、議題として提出はしないでしょう久住哲.icon 「こういうふうにしたほうがいい」というのは久住哲.icon個人の倫理感覚から言ったことで、このプロジェクトの方針とかルールとかのつもりではありません
(質問)方針1のあたりのことを私は忘れていました。倫理感覚でと仰っているのは、今回の久住さんの言っていたことはそむるさんが気にされていた点と似ているのかな?と一応。こひつ.icon
そむるさんが気にされていた点は、Discordにおける「適切な引用」のことでしょうかね ですです、あんぽんたんな質問で申し訳ありません。こひつ.icon
あんぽんたんな質問だとは思いません久住哲.icon
(回答)ちょっと違います久住哲.icon
違う点
引用ではなく要約だという点
法的な著作権の話はしていないという点
自己責任や誰の責任という話をしていない点
似ている点
読書メモが対象であるという点
著作者のテキストをどう扱うかへの関心の点
私が気にしたのは次のことです
どこからどこまでが《著作=自分の仕事の成果を世に出した人自身の思想や整理》であり、どこからが《それを読んだ人=このプロジェクトのユーザーの思想や整理》であるかを不明瞭なままにした場合、著作者の仕事の成果がたしかにその作者に依るものであるという点、すなわち著作者が世へ貢献を果たしたという証が見えづらくなってしまうのではないか。もっと言うと、ある著作者の成果を、そのまま自分が考えたり整理したような見かけが生まれてしまうのではないか、という懸念。
これは著作権の話ではなく「倫理感」の話で、自分の仕事と作者の仕事を区別する「べき」だと久住哲.iconが思っている
これは「どこまでが要約か」を分かるようにすればそれだけで解決する久住哲.icon
もしもコメントあれば好きなところで改行していただいてだいじょうぶです久住哲.icon
了解です、お気遣いありがとうございます🍵 みんな高度な事をしているんだなぁ……。
〝メモ〟というからにはもちろん人それぞれの書き方がありますが、《著者の思想整理》と《ユーザーの思想整理》が何らかの仕方で見分けがついていると、私のような素人にはわかりやすいかもしれません。個人的にアープラノートを他所で引用したりは(今のところは)しませんので、ページの編集者さんに私が及ぼす影響はなさそうです。最初に↑で私が感じたのはあくまであの、「ファイルがインデックスで分類されていると見やすいな~」的な、UIのわかりやすさみたいな点でです。 著作権とは異なる点での文章の倫理感覚での指摘は、絵で言うところのリスペクトからのオマージュ、学習目的の模写なんかと違うかどうかも(そもそもメモは作品ではなく、作品のような利用のされ方ではないだろうし)考えられていないので、今晩もう一度拝読してみます💭こひつ.icon 一応、私の言っている「倫理感覚」は次の一点しか言っていません→「どこまでが著者の仕事で、どこまでがそれを読んだ人の仕事なのかが、分かるほうがいい」。すなわち、他人のテキストをどう利用するべきかについて、私は(私は)考えていないです。
デュシャン『L.H.O.O.Q』はモナリザが有名だからどこからがデュシャンの仕事かは判然としている。
初期村上春樹のパロディは文学作品ですが、パロディだと分かる仕掛けがいくつもしかけられている
(一応、私の言っている〜に対する)そうですね、そもそもここは久住さんの“どこまでが著者の仕事で、どこまでがそれを読んだ人の仕事なのかが、分かるほうがいい”に目を向けるページでした。(昨日、こひつ.iconは“久住さんが言いたいこと“を理解するより、自分が心を動かされた「倫理感覚」という単語から受けるイメージを優先させていた)
この点についていくつか訂正をさせてください。久住哲.icon
了解です🫡こひつ.icon
ここは「久住さんのページ」ではないと思っています久住哲.icon
「久住さんのページではない」の含み
《このページを一番最初に作った人のページではない》
《このページに多くの文量を書いた人のページではない》
《このページがどうあってほしいか願った人のページではない》
このページがどのようなページであるかは、今後このページにユーザーが書き込む行為によって変わっていく
把握です、明文化ありがたい〜🫡 こひつ.icon
今の論筋(ろんすじ)と関係ないが、↑のページも言ってみればどこからどこまでが要約か分からない久住哲.icon
ここには、「ページを作っている最中には、書き手のなかに『これは要約だ』という意識があるので、それをあらためて明示する動機が薄い」といった事情がある久住哲.icon
このページを使って、「どこからが本の要約でどこからがユーザー自身の意見や調査内容なのかを分かるように区別したほうがいい久住哲.icon」ということとは全然違うことを書いてもいいと思っている久住哲.icon
ただし、ページのタイトルが「本の要約なのかユーザー自身の考えなのか分からないテキスト」ではあるので、このタイトルに合ったことを書く「べき」だろうとは思う久住哲.icon
例えば、本の要約なのかユーザー自身の考えなのか分からないテキストの特徴という見出しの下に、その特徴を箇条書きするとかをしていい
このこと以外での、たとえば“倫理感覚”という言葉に受けたイメージやなんかは自分のページで書きたいと思います。それはそれでこのページから得られた発想なのでありがたいです。
こひつ.icon個人のこのページの利用のポイントメモ(だから久住さんとの違いがあり、翌日追加で明文化してもらった)。このページは久住さん個人の考えに留まり、個人同士で話し合いが行われたとしても、アープラノート自体の書式を決めようという提案ではない(アープラノートへの要望に書かないのもそのためと思われる)。他の人に同意や賛成を求める目的もない。書き込み内容は自由)。