紙の書物の未来
インターネットやデジタルデバイスの普及に伴って、「紙の書物は終焉を迎え、将来的には紙の書物は誰も読まなくなるだろう」というような言い方が巷でされることがある。
マサチューセッツ工科大学メディアラボの創立者で、様々な技術的予言によって物議を醸してきたニコラス・ネグロポンテは「数年以内に紙の本は絶滅する」と発言をしたことに端を発し、iPhoneやiPad、アマゾンのキンドルなどが登場し話題になっていた2000年代後半には「書物が消滅する」というような言説が一部の人たちの間で議論されていた。 とはいえ十数年を経た現在、そのような話題自体がほぼ消滅しており、ネグロポンテのソースを見つけるのにも苦労する状況にあるという。
エーコは「紙の本であろうと電子書籍であろうと書物が死ぬことはない」と断言している。もし仮に紙の本が残っていても、一部の好事家だけが博物館で読むだけのものになるかもしれないとも語っている。
興味深いことに、インターネットのほうがなくなってしまうかもしれない、とも述べられている。
彼が描く未来の暮らしは、様々な技術的制約によって到底実現しそうにないものばかりだが、まさにその様々な制約によって窮屈な思いをしている現代人にとっては魅力的なものが揃っているとも言える。
例えば「あらゆる書物はクラウドで常にアップデートされた最新版となり、複数の書き手がウェブサービスのように上書きを続けていく」という書物が経験するであろう変化について何度も言及している。
「あらゆる書物がクラウドにアップロードされる」という事態は、実はGoogleの創業者たちが夢見たことでもある。 Googleはアメリカの図書館に眠る数百万冊の蔵書すべてをスキャンして検索可能にするというプロジェクトを実行し、大規模な訴訟を引き起こしたこともあるという。
「電子書籍を一度購入すれば、その書籍はウェブサイトのように常時更新されるため、誤植や誤訳は発見されるたびに改善され、未来の読者たちは常に最新の知見にアクセスできる」とケリーは想定している。
それに留まらず、書物は特権的な著者や訳者による独占から解放され、ウィキペディアのように誰もが編集できる民主化されたものになる、と彼は書いてもいる。
著者が最も注目している未来があり、それは第四章「SCREENING」で語られる、「ある人が乗った自動車のフロントガラスはスクリーンでもあり、そこにその日のニュースが映し出され、視覚的にニュースを『見る』だけではなく、同時に『読み上げ』が想定されている」こと。
20世紀のサラリーマンが通勤中の電車内で、新聞を読むように、または21世紀のサラリーマンがスマホのニュースアプリを読むように、最新のニュースを自動車のフロントガラスのスクリーンで観るのと同時に「音声」で聞くことになる。
事実、最近では出版流通の世界的な覇権を掌握しつつあり、キンドルで電子書籍の市場でも圧倒的な存在感を示すAmazonが、書物を読み上げた音声コンテンツを提供するオーディブル社を買収し、オーディオブックの市場も開拓しようとしている。 紙の情報、携帯デバイスのディスプレイ、これらが二十世紀的なものだとすれば、スクリーン上の文字情報とそれの読み上げがケリーの描く未来の生活におけるニュースの姿なのかもしれない。
これって本の内容の要約ですか?久住哲.icon