前衛短歌運動
2021/4/11
昭和30年代、塚本邦雄、岡井隆、寺山修司による前衛短歌運動が起こる。
『誰にも聞けない短歌の技法Q&A』によると、前衛短歌運動の担い手は、桑原武夫の『第二芸術』の現代俳句批判に端を発する、戦後すぐの歌壇外の知識人によるいくつかの短歌否定論を受け止め、反写実、虚構、比喩、句割れ、句跨りを駆使した革新的な手法を用い、新しい短歌の時代を開こうとした。
この手法は1960年代に活発になる学生短歌、同人誌ブームの中心となった若い歌人たちを中心に「前衛短歌運動」へと発展した。この動きを後押し・推進したのは中井英夫や冨士田元彦らの総合誌の編集者だった。
代表的な歌人
前衛短歌の三雄
https://youtu.be/79AeqCVl2Ac
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(上の動画の視聴メモ)
前衛短歌運動といえば、「①反写実」「②隠喩の導入」「③句跨り(くまたがり)」の三つがよく挙げられる。
「前衛短歌」という言葉自体は昭和20年代から見えるようになる。批判的な意味で使われていた?
①正岡子規が「写実」「写生」ということを言い、そこから近代短歌が始まるとされている。→写生説
本当は近代短歌には写実以外の要素もたくさんあるが、一般的に短歌とは現実を写実的に表現するものだとされており、細部の事実を描くというのが戦後短歌だった。
それに対して、「短歌は事実を描かなくていいんじゃないか」という批判が起こった。藤原定家も虚構の世界を描いたり、女性になり変わって短歌を作ったりしていた。その頃に戻ろうではないかという指摘だった。
②比喩には大きく直喩と隠喩があり、直喩は例えば「君の唇は薔薇のようだ」等、「ように」「似ている」などを使う修辞法だが、隠喩は例えば「薔薇の唇」「薔薇の女」などと喩えの形式をはっきりとは示さずに喩える修辞法。
塚本は二つ以上のイメージを一つの短歌に並列させて描いた。
馬を洗はば 馬のたましひ さゆるまで 人こわば人 あやむるこころ
馬を洗うことと恋愛を結びつけている。一方がもう一方の比喩になる。
話者によると、この表現は適切ではなくて、塚本は比喩そのものをなくしたといった方がいい。
「薔薇のような唇」は比喩だが、「唇のような薔薇」と言い換えられる。これがシュルレアリスムの考え方?
「唇のような薔薇」は喩えるものと喩えられるものとの関係が逆転しているが、これでもちゃんとした比喩になっている。
シュルレアリスムは、喩えるものと喩えられるものの関係ではなく、二つのものを並列にして結びつけてしまうという考え方が基本にあった。二つのものを結びつけて新しい世界を描いていく。
しかし何でもよいというわけではなく、そこで書き手は試行錯誤していく。
シュルレアリスムは「鉛筆のような消しゴム」というように、私たちの経験、日常感覚を破壊して新しい世界を創造していく。
動画では語られていないが、ということは塚本にはシュルレアリスムの考え方があった?
③句跨りによって何が行われるのか。短歌には、5・7・5・7・7という5つの句があるが、区跨りはこの律を破壊する。律を破壊する、定型を破ってみせるために句と句の間に言葉をブリッジさせる。
規則を破ることによって生まれるスリリングな気分というのが句跨りによって生まれる。
「運動」というからには担い手は塚本一人ではない。塚本邦雄と岡井隆が大阪の美術館で出会い、共鳴しあって運動していくところに寺山修司がのっかってくる。この三人が一つの原動力となって大きな歌壇に立ち向かっていった。
前衛短歌運動には、さらに他ジャンルとの交流も大きかった。
寺山修司は前衛演劇ということをやっていたし、塚本邦雄は絵画の影響を短歌に込めるなど、彼らは音楽のような他の芸術の要素を積極的に短歌に取り入れた。