『モナドロジー』の8
久住哲.icon
この節を読んで、「時間」がキー概念になるかもしれないと思った。
「複合体」のモデルは身体であるかもしれない。
変化と性質は密接に結びついた概念かもしれない。
Cependant il faut que les Monades aient quelques qualités,
しかし、性質(quelques qualités)を持っている
autrement ce ne seraient pas même des Êtres.
「存在」についてのライプニッツの前提が仄めかされている。また、常識でもある。
Et si les substances simples ne différaient point par leurs qualités,
il n'y aurait pas de moyen de s'appercevoir d'aucun changement dans les choses,
「そして、もしも単一実体が、[それぞれすべて]その質について異なるのでないとしたら、事物のなかのどんな変化にも気付きようがないことになってしまうだろう。(が、実際は変化に気づくのだから、単一実体はすべてその質において異なるのだ。)」
この推論はある意味でおかしい。
モナド間の違いとモナドにおける変化を混同している。
これを混同と見なせるのは、考察者が同時間におけるモナド(les Monades)を前提としている場合だ。なので、「ある意味」と書いた。
変化の知覚(気づき)がどのようなものかにかんして、それが、ある時点のモナドと別な時点のモナドとの差異……通時的な差異……を比較することによって可能になるようなものだと、考えるならば、そこに混同はない。だが、そうすると、今度は同時間におけるモナド同士の質的差異が主張できなくなる。
この推論的状況で、筋を通すには、モナド間の違いについては共時的な差異も通時的な差異も同等であると、考えればいい。ライプニッツには時間とモナドについての前提がなにかあるのだろう。
この前提は、次の考えに通ずる
モナドの差が宇宙の反映の明瞭度の差であること
ある時点のモナドが過去や未来の情報も持っていること
「物の中の変化 aucun changement dans les choses」をどう捉えるか
『モナドロジー』の7によって、物の「偶有性」が実体から外へ放出されるようなものではないことが確認された。この考え方で進んでいったとき、では物の「性質」はどのようなものであるか、という点について規定する必要が出てくるのだろう。 puisque ce qui est dans le composé ne peut venir que des ingrédients simples,
複合体と単一な実体の内外関係を根拠としている
ここでいう「複合体のなかにあるもの ce qui est dans le composé」は、『モナドロジー』の1の"entrer"と関連づけていいものか。 考え方:
複合体の変化への気付きは、複合体の中の要素の変化への気付きに基づいている。
しかし、複合体の場合、例えば要素間の関係が変わることによって変化に気付くといったこともあるだろう。
単一な実体の変化がなくとも、単一な実体同士の関係の変化はあるだろう
↑たぶんこの考え方はおかしい
『モナドロジー』の3からいって、モナドには「ひろがり」がない。なので、モナドには位置もない。なので、モナドとモナドの位置関係といったものもないはずだ。 であれば、「複合体」をどう考えればいいのか?(複合体がどのようなものかは前提されている)
et les Monades étant sans qualités seraient indistinguables l'une de l'autre,
puisqu'aussi bien elles ne diffèrent point en quantité:
前提:ものの違いは、質による違いであるか量による違いであるか、そのいずれかである。
et par conséquent,
したがって、
le plein étant supposé,
chaque lieu ne recevrait toujours, dans le mouvement, que l'Équivalent de ce qu'il avait eu,
et un état des choses serait indistinguable de l'autre.