『モナドロジー』の9
久住哲.icon 2022/12/2、
この節では〈異なっている〉と〈同一である〉がどのようなものであるかは自明のものと見なされている。
Il faut même que chaque Monade soit différente de chaque autre.
ここのmêmeの意味が分からない。
中公クラシックスでは「じっさい」と訳されているか。
岩波文庫河野与一訳は「のみならず」と。こっちの方が良い気がする。
モナドは「性質がある」し、また、「各々の性質がそれぞれ違う」のでもあるという感じか。
8ではモナドに性質が有ることの必然性が消極的な論証の仕方で言われていた。
Car il n'y a jamais dans la nature, deux Êtres, qui soient parfaitement l'un comme l'autre,
中公クラシックスの訳文を見ると「まったく同一」という風に読んでしまう、すなわち、「同一」に読みの力点を置いてしまう。原文を見ると、parfaitementに力点を置きたくなる。
et où il ne soit possible de trouver une différence interne, ou fondée sur une dénomination intrinsèque.
une différence interne(内的違い)は主語に潜在的に含まれる述語における違いという意味だろう
「une dénomination intrinsèque」
中公クラシックスでも岩波文庫河野与一訳でも「内的規定」と訳されている。