『モナドロジー』の14
『モナドロジー』の13
『モナドロジー』の15
久住哲.icon
L'état passager qui enveloppe et représente une multitude dans l'unité ou dans la substance simple n'est autre chose que ce qu'on appelle la Perception.
どうしてpassager(一時的・束の間の)という形容詞が付いているのか
中公クラシックスではL'état passagerを「流れ」とも訳している
「表象 la Perception」が登場。
『モナドロジー』の48ではこの表象の能力が、神の知性と対比させられる。
これによりこれまでの叙述の色々な謎が解けるように思うが、はて?
cf. 『モナドロジー』の8〜『モナドロジー』の13
その後、デカルト派への批判
ライプニッツはすべての実体に表象があると考える
デカルト派は目覚めている精神にしか表象がないと考える(たぶん)
デカルト派は「まったく遊離した魂 des âmes entièrement séparées」があると考えた
逆に言うと、ライプニッツは遊離した魂みたいなものを想定していない→『モナドロジー』の72
「エンテレケイア」という言葉が出てくる
元々アリストテレスの造語だったはず。
表象と、アペルセプションないし意識とは、区別される……ということが後から分かると予告される
『モナドロジー』の22のことか?