『モナドロジー』の48
中公クラシックスp19
岩波文庫河野与一訳p262
久住哲.icon
キリスト教〜という感じのセクション。
Il y a en Dieu
la Puissance, qui est la source de tout,
puis la Connaissance, qui contient le détail des Idées, et enfin la Volonté, qui fait les changements ou productions selon le principe du meilleur.
中公クラシックスの注
力 父なる神
知恵 永遠なることば(ロゴス)
Et c'est ce qui répond à ce qui dans les Monades créées fait
le sujet ou la base,
la faculté perceptive
et la faculté appétitive.
神のなかの3つのものが、モナドのなかの3つのものに対応している……という形式的な議論。
岩波文庫河野与一訳の注では
「主体 le sujet」といっても表象能力・欲求能力と離れて存在するようなものとして想定するべきではないと忠告がある
「数を合わせるために主体と言ったんだろう」といったことを書いている。
Mais en Dieu ces attributs sont absolument infinis ou parfaits,
et dans les Monades créées ou dans les Entéléchies
中公クラシックスでは「エンテレケイアであるところの創造されたモナド」と訳されている 原文どおり「創造されたモナド、あるいは、エンテレケイアのうちでは」と解していいだろう この2つは言い換えの関係にある。どちらで呼んでもいいということだろう。
(ou perfectihabies, comme Hermolaüs Barbarus traduisait ce mot)
ce n'en sont que des imitations à mesure qu'il y a de la perfection.
神は自らに似せて人間を作ったという旧約聖書をなぞっている。