「ポリフォニー」の臨界域
オープンダイアローグのポリフォニーにおいてセイックラが重視するのはラズノレチエである 治療においては過程を志向する言葉の方がふさわしい
一方で、分析や批評においてはラズノグラーシエがより切れ味するどい魅力をはらむ 「人間が言葉でそれを捉え損なうことなしには捉えることが出来ない言葉」といった構造を浮き彫りにする しかしキリストという超越論的な存在を軸にしたその両義性、有毒性は、治療のための言葉としては問題がある 「ポリフォニー」概念の中に、「ラズノグラーシエ(異和)」という臨界域が存在し、それが批評と対話を、思想と治療とを隔てる境界域でもある可能性を示唆する