「Φ」
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表記の関係上ギリシャ文字のΦ(大文字のファイ)を用いたが、本来なら$ \varnothingを用いるべき
「科学の最終的な目標は、全宇宙を記述する単一の法則を提供することにある。」
スティーヴン・ホーキング『ホーキング、宇宙を語る』(林一訳)
なお、同書にて、ホーキングは物理学者の究極目標である究極の理論の探求は自己矛盾的であると主張し、アナロジとして第一不完全性定理を用いている。(p.32) 数学セミナー2021年1月号、林晋「数学基礎論 : 知の階層」から遡って確認。
俺の$ \varnothing=究極の理論説は正しい解釈ではないかと考えられる
同様の自明な機構は『Self-Reference ENGINE』に登場する自己消失オートマトンにも見られるが、SREでは完全にギャグ的に登場した同機構が、まったく同一の機構のまま数学的・物理学的に極めて美しい様態をまとってあらわれたことを高く評価したい。 このような、ギャグ的機構が実は数理科学的に極めて興味深い主張をしており、それが文学的にも優れた表現となっていることをきちんと指摘することこそが、自分に求められた仕事だと思っている。
絵面だけの一発芸ではないことはきちんと説明されるべき。
円城塔作品全体を貫く姿勢として、真に理解できないものをわれわれの理解出来る平面に写しとってこようとするものがあると思う
真に理解できないもの:単に難しいものではなくて、物理学的・数学的・論理学的に言及すること・理解することが不可能であるもの
アナロジを使えば、われわれ読者は、真に理解できないものという元を、円城塔という写像による作品という射影によって読んでいる。得られた射影から写像及び元を理解することは一般に困難である。しかし、自然科学という営みは、まさにこれと同様の営みであり、慎重な観測事実を積み上げることで確かな進歩を達成してきた。
自然科学と円城塔作品とで違うのは、円城塔がどのような思考をするかということをある程度予想し、カンニング出来ることにある。最悪、答え合わせが出来る。
天才の直感を“予想”と言えるのなら、両者はほとんど同一である。物理学者が美を指導原理とすることと、円城塔作品の主題を自己言及にあるとして解析を行うことは、本質的に等価な行為である。
作品宇宙に対してメタ的な宇宙(構造的に優位な宇宙)、すなわち弱い体系をより強い体系から観測するとき、弱い体系の内部で発生している事象が弱い体系に許される観測のみによっては理解不可能であることを強い体系に属する観測者は理解出来る。つまり、作品世界で許されている情報のみではわからないことを、読者はわかるのだが、作品の登場人物はわからない。
ある世界を包含する高層世界を作ることで、内部観測による物語を作り出す、ということ。
本作の主題は“無限を有限に写しとる”。より抽象的には、本質的に語り得ないものを語るにはどうすればよいか。ざっくばらんに表せば、でかいものを小さく表現するにはどうすればよいか。
一般解が得られないなら自明な解に落とし込んでしまえばいい:「文字渦」 あるいは、語りたいものがデカ過ぎて語り得ないのならば、語りたいものを削減してしまえばいいという開き直り
最大の数とは何か、宇宙の完全な記述とは何か、という問いが、最後の$ \varnothingで一挙に解決する。素晴らしい
いわゆる終末ものにおける、滅亡に抵抗しようとするロマンがここにはある。円城塔の得意とする、古典的表現の再利用。
「自分は正気か」という問いは正気から生まれたものなのか?
p107「飛行中の機内に、機長の「しまった」という呟きだけが漏れ、沈黙が降り、騒ぎが起こり、爆発音があり、やがて永遠の沈黙が下りる。」
吉田戦車の4コマ漫画『感染るんです。』に似たようなものがある(飛行中に機内アナウンスで機長が「ごめん」とだけ言って機内がパニックになる) 自身と同じ文字列を出力する文字列
$ \varnothingは最短かつ自明なクワイン
$ \varnothingは”なにもない”であり、”なにもない”は”なにもない”を出力していると見なせる
これは対角化であり、自己言及を可能にする構文である 塚本邦雄「涙/そそぐ/木の夕影に/なびく藤きみは/寂しき死を/ねむる/蝶」 本当は中央揃えの7行にわたる歌
もちろん正字
もっと直截に
人の心の底に湛へる蒼い海がある
たちまち引潮となるにがい海
荒れた干潟が鈍色に光り
回の死骸の転る墓原
何にならう今更
幻の陸奥の
心の海を
尋ねて
戀は
終
塚本邦雄による藤原定家「尋ね見るつらき心の奥の海よ潮干の潟のいふかひもなし」の訳詩 プログラムによる支援を受けた作品
一文字ずつ減らして書いていくために文字数管理用のスクリプトを組んだらしい(インタビューから)
円城塔の最高傑作のひとつなのでは
一字ずつ宇宙が縮小していくことに語り手が気づき、失われつつあることを悲しみながらもどうしようもない。なんとか記述体系を刷新して抗おうとするも、それも徒労に終わろうとしている。その姿が胸を打つ。とても美しい。
サイクリック宇宙ではないことは確定的に明らか(とはいえサイクリックであるという解釈はあるとは思うが) 最後に$ \varnothingに到達し、論理的に完全であるという“穴”に落ち込んでしまったので出てこれなくなっていると思う
ただ、これは悲劇ではない。$ \varnothingという宇宙において$ \varnothingを出力しているので、その宇宙における完全な記述を得ている
しかし、完全な記述が得られていることに気付ける(証明できる)ものはその宇宙にいない
なぜなら、その宇宙は無なので(あるいは、言うまでもなく、不完全性定理より自明) 完全な記述を得る、という解釈を俺がしているのは、多分に専門である素粒子物理学の影響がある。やはり、宇宙に関する完全な記述への憧れがある
宇宙の物理学的に完全な記述を得ることは出来ないことが物理学的に知られている
すべての原子を記述するためには少なくともその“すべての原子”の3倍の原子が必要になり、記述に用いる原子もまた宇宙に含まれていることから、さらに少なくとも3倍の原子が必要になり、以下略
原子はスピンという物理量(情報)を持っており、スピンは自由度3なので、スピンの情報を記述するために少なくとも3つの原子が必要。
この議論は古典力学だかの教科書の一番最初の練習問題として載っている有名な議論なのだが、どの本に載っていたか忘れてしまった
残り1文字になったときに「!」とあるのは、最短の手紙として知られるヴィクトル・ユーゴー「?」(『レ・ミゼラブル』売れてる?)「!」(めっちゃ売れてる!)のエピソードからか もしくは、語り手は真に驚くべき重要なことに気づいたのだが、それを書くには空白が足りなかったか(フェルマー)