人倫の形而上学の基礎づけ
何故良い目的であっても人を道具として利用してはならないのか?
全ての個人を尊敬すべき理由は自己を所有しているからではない
彼らには理性、自由が備わっているからだ
カントによれば人間は理性と自由の他に苦痛と快楽を感じる能力を持つ
それは私たちを欲求に突き動かされる動物以上の者にすると考えた
カントによる自由とは気の赴くままに何でもできるという意味ではない
私たちが気の赴くまま苦痛を避け欲望のまま行動する時、本当に自由に行動しているとは言えない
そのとき私たちは欲望や衝動の奴隷となっている
分かりやすく言えば肉体の奴隷、普遍的に言えば自然の奴隷に過ぎない
カントによる自由はもっと厳しい
カントの自由と欲望は相反する
カントの自由の概念
自分自身が与える法則に従って行動すること
物理的な法則や、原因と結果の法則から逃れた所にカントは自由の実在を認める
自分自身で選んだのではない欲望や衝動(傾向性)に従って行動すること avashe.iconここでの自分自身とは所有する肉体以前、より最小限の精神的対象を指す
カントの自由と道徳の関係性
外界から与えられた目的に対し行動する時、私たち自身が道具になっている
自己が与えた目的に対し行動する時、自分自身を自分自身の目的として考えることができる
この性質が人間に特別な尊厳を与えているとカントは主張する
他者の尊厳を守ることは人を道具として見做すことをやめ、目的そのものとして考えることを意味する
ここに自由と道徳の関係性がある
avashe.iconここに少しでもビジネス的な理由が入ると他律的なものになってしまう
カントが功利主義を否定する理由でもある
仮に功利主義によって幸福を最大化できたとしても、人自体を目的とせず手段として用いることは認められない
何が行動に道徳的価値を与えるのか?(前回の宿題だった評価基準について)
行為の道徳的価値は動機に基づく
正しい行いを道徳法則それ自体のために成す
善意はその結果や成果のために善いものになるのではない それ自体が善いものなのだ
最善の努力をもってしても何も達成しない場合でも 善意はそれ自体が全き価値を持つものとして宝石のように光り輝く
行為に道徳的価値を与える唯一の動機は義務の動機である 外界から与えられず自ら道徳法則に従おうとする義務感を指す
アリストテレスは美徳が習慣になることを良しとする面があるが、カントはそれを許さない
努力して従っていることが「義務」に強調されている
義務の動機の対となる概念が傾向性の動機である
例えば社会的制裁を恐れ正しい行動を取るのは間違いであり道徳的価値はない(自己の利益に従っている)
客観的にそれが道徳的であるとどうやって判断できるのか?
私たちは 自律的な存在として自分に法則を与えるが そこへ導く理性は1つである
この言葉に対するavashe.iconの所感
人間の本能として理性が備わっているなら議論しあえば大本に辿り着くはずじゃん?という意味だと思う
(メタ)倫理学が議論する根拠もこれで説明出来そう
傾向性は生まれによって偶然定まるが、カントの指す理性は自由の領域にあり人類にとって普遍的だということなのだろう
形而上学(哲学、数学、倫理学など)専門の人間らしい発想だと思う 生まれやそれ以降の傾向性、価値観に影響された特殊な理性ではない領域があるはずだ
特定の目的とは無関係にアプリオリ(経験的認識に先立って)に法則を制定するもの 純粋実践理性が成す道徳法則はどのようなものか?
道徳性の最高原理は何か?
本書におけるの3つの対比
動機(道徳性の基準)
義務 / 傾向性
意志の決定(自由の基準)
自律的 / 他律的
命法 (理性の命令の種類)
定言命法 / 仮言命法
仮言命法は道具的な命令
もし〜したければ…せよ
もし行為が 単に別の何かのための手段としてのみ 善いのであれば命法は仮言的である
行為がそれ自体において善いと示されそれゆえ それが理性と一致している意志のために必要であるなら命法は定言的である
カントは定言命法について幾つかの定式を行った
同時に 普遍的法則となることを意志しうるような格率に従ってのみ行為せよ それが正しい格率であるとは、その格率を普遍化した際に秩序が形成されると考えられるもの
ただしこれは必要条件の1つであって主要な理由ではない
普遍化は他者に対し自身を優先させていないか判断するための要件である
目的としての人間性の定式
定言命法の根拠は特定の利益や目的にあってはならない
それが特定の人のためのものになってしまう
しかしながら 存在そのものが絶対的な価値を持つもの つまりそれ自体の中に目的を持つものがあると仮定すると そのものにのみ定言命法の根拠を見いだされる
人間 および 一般的に理性的な存在全ては 目的自体として存在し 誰かの意思を 恣意的に使用するための手段として存在するのではない
君の人格にも 他の全ての人の人格にもある人間性を単に手段としてのみではなく 常に 同時に目的として扱うように行為せよ
人間の間には相対的価値だけがあるのではなく、理性的な存在としての絶対的価値があるとした
この理由から殺人と自殺は同様に道徳的ではないと結論づけられる
(逃避としての自殺について)自己だろうと人間を手段として消費することは尊厳の否定である
義務の観点から見ると、カント曰く自殺は自己愛の行為であり、生きるという義務の遂行を放棄したことになる
自殺が普遍化すると秩序が形成されない
この原理は説得力のあるものだろうか?
自由と義務は両立するか?
道徳法則に従うことを自分自身に課したという点で両者の自律性は兼ねられる
道徳法則は幾つあるか?貴方と貴方の両親が持つ法則に違いはあるのか?
道徳法則は主観的認識に左右されない、従って唯一のものである
人類に普遍的に備わる純粋実践理性が行為者である限り最終的に道徳は同じ物へ到達する
その実践の方法が定言命法である
定言命法は如何にして可能になるか?道徳性は如何にして可能になるか?
カントに拠れば区別によって可能になるとしている
叡智界からの判断である時我々は自由であるといえる
我々が自分自身を自由だと考えるとき我々は叡智界の一員として意思の自律性を認識する
思考実験:貴方の家に貴方と友人がいるとして、そこに友人を殺しに来た殺人鬼がいたとする。匿う貴方に殺人鬼が家に友人が居るか?と訪ねた場合、貴方は嘘を付いて良いか?
カントは許されないと主張した
帰結によって例外を設けた場合、際限が無くなると共に帰結主義に陥ってしまう
嘘を付かずに匿う方法はあるか?
誤解を与えるような真実を用いる
それは嘘偽りとは異なり義務に対してある種の敬意を払っている
道徳法則の適用例としてのカントの政治理論について
カントは契約論者であるが、法の起源及び正しさを現実の社会契約に求めない
現実に集まった人々は皆交渉能力や目的、利益が異なる
多様な人々による憲法制定会議の結果は必ずしも正義に適わず、単に交渉能力や利害関係の反映となりうる
カントによれば正義を生み出す契約とは理性の理念である 権利の原則を生み出す契約は単なる理性の理念である。しかし、それは疑いの無い実践的な現実を持っている。それは、全ての立法者に法を起草する際、その法が国全体の統一意思によって生み出されたかのようのに起草するよう義務付けることができる。
仮説的契約に効力はあるのか?
avashe.icon形而上学的でありながら信じてみたくなる尊さがあり、一方で異様でもある
カント派の「尊敬」はその普遍性のために愛を超えたものであるというのがエモいですね
近代といえば人間中心主義ですが、その特徴の1つでもある理性の虚構を信じられたのはこういう尊さもあったんでしょうね
カントは自然科学と人間の自由を両立させようとした結果、因果律(とそれを解明できる自然科学)に支配された現象界と、自由がある叡智界というロジックを見出した これは自由が無ければ罪に問えないという、法の擁護でもある
一方で意図的に世界や経験を徹底的に排除しミニマルな領域で法則を再構築しようという企てでもある
功利主義も直感的な倫理との衝突があったが、それとは異なる方向性の異様さがある