「自由研究」に苦労するのは、学びに対して「他人の問いに答える」「答えをたくさん収集する」という暗黙イメージを持っているがゆえに、「自ら問いを立てることから始まる」という学びのスタイルに戸惑うから
「自由研究」という言葉を聞いて、ポジティブな印象を持つ人はそれほど多くないでしょう。 振り返れば、私も自由研究は避けたい宿題ナンバーワンでした。
40年前の遠い記憶をたどれば、小学生向けの雑誌の付録にある「自由研究特集」のようなものを参考にしながら、リトマス紙の実験を適当に思い出すかのごとくに残っています。
今でも書店に行くと、かつての私のように救いを求める子どもたちのために「自由研究キット」のような簡易ツールが販売されていて、電気回路がわかる豆電球のセットとか、液体と固体の違いがわかる実験のセットとか、バラエティに富んだお手軽なツールの数々が陳列されているのです。
なぜこんな虎の巻が生まれてしまうのでしょうか。
その答えはシンプルです。
それは、「問い」を立てることに慣れていないからです。
数ある宿題の中で、自由研究が異彩を放っていたのは、「自ら問いを立てる」という点にあります。
読書感想文は、本を読む面倒臭さはあるけれど宿題は、「自分はこの本を読んでどう感じたか」という問いに答えれば良い。 算数の宿題は、「3+5=?」「辺ABは何センチか」という問いがあらかじめ立っている。
夏休みの宿題に限らず、学校での授業や宿題は、ほとんど先生によって考えるべき問いが決められていて、期限内に答えを出しさえすれば良かったのです。
問いを立てるのは先生の役割。
自分はそれに答える、という癖がついていたのです。
そのような中で、年に一度、夏に出される自由研究の宿題は、最初に問いを立てなくては先に進めない、という点で、明らかに使う筋肉が異なる種目であるのです。
この本は、「学び」についてのイメージを一つずつ丁寧にアップデートしているところに好感と実効性がある。
好感というのは、純粋な個人的価値観から。
一方、実効性というのは、企業内人材育成に関わるなかで、「自分がどう関わると、本人はどう変わるのか」ということにいつも腐心している経験から。
ビジネスパーソンが学ぶ(あるいは、学ばない)様子をつぶさに見ていくと、その深奥には「本人の『学び』に対するイメージ」が横たわっていることがある。
学びに対するイメージが変わったことで、学びが促進された好例。
1on1や研修では、本人の「学び」に対するイメージを、まず自覚化させ、その後にアップデートするコミュニケーションを丁寧にする。
1on1であれば、「仕事をしていてどういうときに成長を感じるか?」「失敗って、具体的にどんな場面?」のように、仕事の経験のどこにフォーカスして、どう意味づけているかを聞いていく。
研修では冒頭で「私は先生(答えを持っている人)ではない」「答えではなく、考えるときの補助線を渡す」みたいなことを時間をかけて打ち込む。
ちなみに、ここでは読書感想文が、所与の問いに答えるものの例として挙げられているが、一方で、読書感想文は問いが不明瞭な題材とも言える。 /icons/hr.icon
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