青佐山城
この城の築城者は、当時、備中介の安倍晴明だと伝えられているが、確かでない。 室町時代に、細川氏(野州家)が、浅口郡一帯を鴨山城を本拠として領有していたが、
戦国時代を迎えると勢力を失い尼子氏、宇喜多氏等の圧迫を受けて分郡のあった伊予国へ退いた。
伊予国(愛媛県)の川之に在城していた一族の細川通董は、毛利氏 の援助を受けて
永禄2年(1559年)に青佐山城に入り旧領回復の拠点にした。 通薫は、細川家旧臣たち(赤沢・大内・安倍・秋田・河田・藤沢・今城・大島氏ら)に迎えられると、
山麓に屋形を設け、周りに家臣を配置した。
また、城の鬼門の守りには、「八幡宮(大浦神社)」を遷座勤請し伝統や産業の張摂振興に力を入れた施策を行った。 通董は勢力拡大を図り、永禄9年(1566年)に浅口市六条院竜王山城を創築し本城としたが、それまで7年間を青佐山城に在城した。その後江戸時代になると廃城になるが幕末に青佐山の砲台が作られた。 https://scrapbox.io/files/61664269c53985001d2ba3ee.png
僕は、寄島にこんな歴史が、あることを知ってうれしく思いました。
参考:ウィキペディア