細川通董
細川 通菫は、戦国時代の武将。諱は通重、通頼とも。細川晴国の子。細川野州家7代当主。
生年月日: 1535年
死亡日: 1587年
両親: 細川晴国
時代: 安土桃山-戦国時代
細川通董の墓場
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細川 通董は築城似あたり、敵の侵入を防ぐため、守り神として三郎島の神社を大浦へ遷した。 輝弘が備中を狙い、海路兵船を率いて兵を三方に分け、正頭、青佐、寄島町(三郎島)の兵に攻めてきた。これを迎えた細川軍は地侍と土民が協力して勇敢に戦い大内勢を一人も上陸させず波打際で撃破した。 参考「寄島風土記」
細川道菫の絵
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