青佐山の砲台
文久3(1863)年に鴨方藩によって築かれ瀬戸内海を一望できる青佐山の中腹に築造されています。高さ約2mの土塁や二つの砲門を江戸時代から明治時代の激動の歴史を今に伝えています。明治4年の廃藩置県とともに廃棄で現在では石塁砲門を据えたくぼ地のみが残されているだけであるが台場跡付近の展望台から塩飽諸島や笠岡諸島の数々の多島美が楽しめる他にも鷲羽山から連なる瀬戸大橋がほぼ真横から展望できます。
おおさやまおだいばてんぼうだい. 青佐山(標高249m)・青佐山城 青佐山台場跡は、幕末ばくまつに黒船の侵入を防ぐ目的で造られた砲台の跡になります。この台場は、文久3(1863)年に鴨方藩によって築かれ、明治4(1871)年に使われなくなりました。瀬戸内海を一望できる青佐山の中腹に築造されています。現在は、高さ約2mの土塁や二つの砲門を見学することができます。江戸時代から明治時代の激動の歴史を今に伝えています。 塩飽諸島や笠岡諸島など多島美が美しく、鷲羽山から連なる瀬戸大橋がほぼ真横から見られる標高249mの台場。幕末、いた砲台跡で眺めよしの景勝地。石塁砲門を据えたくぼ地が残っている>幕末の文久3年(1863年)に海防のため鴨方藩が築いた砲台(御台場)跡。「試発したら三郎島までは砲弾が届いた。」という説明書がありました。その大砲は寄島町に保存されてあります。
参考 岡山県観光連盟