人間はガジェットではない
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このシリーズ最高かもyo3.icon
ジャロン・ラニアーとは一度しか会っていないが、アーティスティックで融通のきかない強烈な個性の持ち主であることはすぐわかった。モントレーでのTED1991のときだ。 4人ともワーマンと佐藤 恵子が愉快な茶々を入れてくれた。2日後、サンフランシスコ脇のマリーナ・ディストリクトに、ぼくはテッド・ネルソンの自宅に当たるヨットを訪ねた。ネルソンはラニアーを褒めていた。 ヴァーチャルリアリティ(VR)という言葉をつくったのはラニアーだ。言葉だけでなく、その技術を開発し、その名をもつ自分の会社を立ち上げた。当時、「ヴァーチャル(V)・リアリティ(R)」という用語は、けっこう妙なものだった。
V的なRなのか、RというものはVを伴うと言っているのか、たんなるV(仮想)でもたんなるR(現実)でもない新たなVRという世界をつくりたいと言っているのか、知覚や身体が入っていけるVRを強調しているのか、いろいろとれる。
ラニアーはなぜこんな用語によって新技能界に参入しようと思ったのか。本書によれば、まだ16ビットのワンチップコンピュータで騒がれていた80年代の後半、ラニアーはのちに電子フロンティア財団の共同創立者となるジョン・ペリー・バーロウと、のちに「WIRED」誌の創刊で話題をまくケビン・ケリーと、夜っぴいて議論をしていたようだ。 話題はいつも、コンピュータ・テクノロジーは人間の何かを拡張するのか、それとも何かを縮退させるのかということだったらしい。
当時すでに大規模なソフトウェアを開発するとその維持が悲惨なものになっていた。小さなプログラムを書くのはかなり楽しいのに、ある規模を超えると、実際のコンピュータRと理想的なコンピュータVの区別がつなかくなって、多くのプログラマーが統合失調症になっていた。
ティム・バーナーズ=リーが工夫したウェブは、最小限のことしかできなかったから(すべてのページがすべてのユーザーからアクセスが可能になるという、ただそれだけだったから)、かえって広まったのである。自由度が大きいソフトだったら、そうはいかなかった。 ラニアーたちは、だったらR(リアル)とV(ヴァーチャル)の相克ではなく、Vのほうを先に拡張しておくとどうなるのか、そこを詰めて議論した。
ただし、他のシリコンバレーの連中が血道を上げているような標準化(デファクト・スタンダード)をめざすようではまずい。標準というのは先見の明がないものをいう。鉄道の線路軌道の幅がそうだった。Unixもそうだった。あれはヴァーチャルの逆なのだ。 この本は、21世紀に入ってからデジタル革命の展開ぐあいがかなりおかしくなっていることを告発した一冊だ。
どうでもいいような匿名のコメントがふえ、思いつきの動画をつかったつまらないおふざけが流行し、ふまじめなマッシュアップが罷り通っているのはまだしも実害がないとしても、ネット総体としてのコミュニケーションがだんだん貧相になり、ネットに登場していくときのユーザーの人間性が下品になっていったことが目にあまる。
なぜ、こんな体たらくになってきたのか。そんな体たらくがいつのまにか、こぞって「ソーシャル」と呼ばれてしまったのだ。おそらくはユーザーたちが相手にしているのが集団意識であるからだ。ユーザーがアクセスしているのは、たいていは「ぼんやりした集合知」なのである。誰も一人ひとりの人間と実質の「感知」をやりとりしてはいない。みんながガジェットになりながらコミュニケーションしているにすぎない。そんなものがソーシャルであるわけがない。そう、ラニアーは告発をする。
インターネットはまるで生物進化の途上を歩んでいるかのように、システムを目的なく膨張させてきた(生物は進化の目的などもっていない)。
とくに最近はプライバシーと匿名性についての技術イデオロギーが重視されるようになって、不透明性を上げていくような方向にインターネットが邁進しはじめた。
たとえば、クラウドアーキテクチャーの普及がそれを加速させている。同じソフトウェアでもログインするたびに使うサーバーが異なり、たったいま現在、どのサーバーにログインしているのかは把握しにくくなってきた。ビットがコンピュータ間を移動する時間をレイテシーと言うのだが、このレイテシーが大きな問題になるケースでは、どのサーバーにログインしているのかがわかれないと困るのに、それができなくなりつつある。
なぜ、こんなふうに不透明性を上げようとしているのか。なぜ曖昧なほうがいいのか。ラニアーはここには、ひとつにはインターネットが生命のようなものを獲得してそのうちメタ生物になるのを見たいという開発者たちの“自動進化欲望”が渦巻いているからではないか(この行く先がシンギュラリティ待望幻想だ)、もうひとつにはインターネットにかかわる技術者たちの多くが既存メディア社会に攻撃をかけているのだという自負が高まり(それによって新しい歴史の担い手になっているという自負も高まり)、この幻想を強化するにはシステムのプロセスを敵に知られないようにしているという技術的集団心理がはたらいているのではないかと、推理する。 本書は、うまく書けているとは言いがたい。いささかラニアーの被害妄想が膨らみすぎているきらいもある。とくにインターネットとコンピュータにまつわるサイバネティック・ファシズムを糾弾したいと思いすぎているところ、またgoogle以降のシリコンバレー型の技能マオイズムに危険思想を見ているところは、しばしば過剰反応に思える。 だが、ラニアー自身がそうしたインターネット創成期の技術パイオニアの一人であっただけに、このような過剰反応のなかにはいくつか切羽つまった傾聴すべきところも含まれる。フリーウェアについてのラニアーの懸念も、そうした自身の体験からも生じていた。
1980年代の終わり、風変わりで汚らしい二人の技術ナードが、MITにほど近いアパートで新たな夢にとりくんでいた。一人はジャロン・ラニアー、もう一人はリチャード・ストールマンである。 MIT時代にGNUを開発していたストールマンは、ちょっと前から理想的なLISPマシンにとりくんでいた。LISPは人工知能研究のために使われるプログラミング言語で、ストールマンはそのLISPがたんに走るだけではなく、システム設計の根底をLISPに最適化したものを作り、それにふさわしいユーザー・インターフェースもつくりあげ、コンピュータとはかくあるべしというものをつくろうとしていた。コンピュータはかくあるべしのほうはラニアーの夢が花開いていた。 ところが開発費が追いつかない。そこでLISPマシンはシンボリックスという会社に面倒を見てもらうことにした。当時のシンボリックスは意欲的ではあったが、まだ小さかった。何かがおこれば潰れるか買い取られる危険性をもっていた。そこでストールマンはコンピュータコードやそのコードによって育まれた文化が商業主義や法律主義にからめとられないような防衛策を講じることにした。
ラニアーはこの対策には疑問をもったのだが、LISPマシンが解体する危険を黙って見ているよりよいとも思われたのでストールマンに従った。ストールマンはUnixオペレーティングシステムによる無償ヴァージョンを作る決断をした。
このストールマンの意図を継承したのがヘルシンキ大学にいたリーナス・トーバルズである。トーバルズはインテルチップを使って同じことを推進した。これが1991年に完成した「リナックス」(Linuxカーネル)だ。オープンソースを謳ったリナックスは爆発的に人気を獲得していった。 こうしてフリーソフトウェアという技術文化の地平が爆発的に(よくいえば自発的に)拓かれていった。ラニアーはオープンソースやフリーソフトウェアそのものに反対しているのではない。ただ、LISPマシンの無償ヴァージョンやリナックスのようなキラーOSが時代を席巻してしまうことが、新たな創造力の萌芽の可能性を奪いかねないことを懸念する。
https://youtu.be/NHyPIYuYqPk
アメリカのプログラマー。80年代MITのハッカー文化の旗手として活躍。現在にいたるまでフリーソフトウェア運動において中心的な役割を果たしている。動画「マック ウインドウズユーザーは牢屋の囚人」。
https://1000ya.isis.ne.jp/file_path/1646_img103.jpg
ヘルシンキのプログラマー。Unix系オペレーティングシステムであるLinuxカーネルを開発し、1991年に一般に公開したことで有名。右上はLinuxのマスコットキャラ・ペンギンのTux、右下はLinuxの起動画面。写真はLinux 本書はジャロン・ラニアーの勇み足がもたらした一冊ではあるが、ときにこういう一冊が何かのストッパーや気付きになることもあるはずだ。