疑似同期と中動態
いろいろと書き直したいが、今日は頭悪いのでやめとこう。
同期と非同期の対立が主にソフトウェア・コミュニティでは語られてきたが、インタラクティブに"繋がりあっている"これからの時代は同期と擬似同期の対立なのではないだろうか。 関係性で考えてみる
お互いの顔が見えているとき
slackやpostalkを休む間も無く打っているとき
相手の動きが見えているとき
必ずしも同期しているとは限らない状態
ビデオをオフにした状態のzoom
ニコニコ動画のコメント
匿名性のあるとき
例えばだが、ノートを前にして悩んでいる人がいる。その人は果たして何もしていないと言い切れるのだろうか?たしかに、その人は動いていない。何か考えているようだが、それは外からではわからない。
まるで同期しているような状態って奥が深いのではないかとスーパーに向かう途中に気づいたのだが、携帯が手元になく、メモをすることができなかった。そして、閃いたということを先ほど思い出した。頑張って書く
様々な文章を結びつけ、書きなぐる場所であり、リアルタイムに繋がっている。体感としては同期的だけど、実際には同じ時間を過ごしてはいない。しかし、各々がマイペースに記事を投稿していくことは、本棚に本を置くようなことです。この行い自体は、個人の時間軸で行われている。
同期・非同期で語ることが間違っている気がしてきている。
人間中心設計的な、時間の流れを意識することの方が重要というか
まるで同期しているように感じること(疑似的な体験)自体に意味があるのではないだろうか。
おお、鋭いじゃんyo3.icon
疑似同期とゲンロン8の黒瀬さんの論考、そして人間中心設計に集約されるような予感がしている。