論理共感覚
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私は、外界から得た情報を心の中で粘土のようなものにし、それを眺めたり弄るように思考することができる
つまり、論理に「見た感じ」とか「触った感じ」のような感覚が伴う
美しい論理は美しく見えるし、触り心地がいい
そして、その感覚だけで(言語に頼らず)複雑な思考を組み立てることが出来てしまう
これはもともと図画工作的なことが得意だったことも関係しているかもしれない
ネットで議論をしていても、「この人の考え方、あの辺にざらつきがあるな」という感じで論理的不整合が直感的に分かってしまったりする
ちなみに共感覚というのは、「音に色を感じる」とかいう類のあれ
気付いたのは10代半ば
当時の私は遊びで2ちゃんねるのスレッドに乱入しては議論をふっかけるということをよくしていた
その中で、相手の論理的な脆弱性が手に取るように分かってしまう能力があることに気付いた
恐らく遺伝
私の父は幼い頃から勉強嫌いだったが、数学だけはなぜか異常に得意だったらしい
勉強が全般的に得意な兄弟達と同じように東大を受けたが、数学くらいしかできなかったので滑り止めで埼玉大数学科に入った
私の場合、他人のルールが嫌いという理由で勉強は軒並嫌いで、数学も考え方は理解できるが記号体系を覚える気にならないという理由でほとんど出来ない
父の場合では数学に活かされた論理共感覚が私の場合ではデライト開発に活かされたのではないかと考えている
デライトのデザインには割と数学的感性が反映されているという確信があり、実際デライトには数学ができる人が割合的にかなり多い印象がある
数学者がよくいう「エレガント」は私にとってもかなり重要な感覚で、「麗厳」なんて希哲館訳語まであったりする 自分がろくに使えないのに実装した数式記法(KaTeX)とかも割と使われている