自殺を考えたことが
あるsta.iconnishio.iconmtane0412.icontakker.iconsisui_1213.iconrickshinmi.icon増井俊之.iconMijinko_SD.iconyuki_minoh.iconくま子.iconshoya140.iconmaichan.iconjgs.iconSummer498.iconはるひ.iconsh1ma.iconkyamad9.iconnejimaki.iconnyarla.icontaktamur.iconhealthy-sato.iconHiro Aki.icon
ないdokudami.icon45Nuyagawa.iconblu3mo.icon
シュレディンガーのはるひ.iconだなぁSummer498.icon
と思ったら消えた
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誰でもn回くらい考えたことはあるだろうと思っているが、どうなんだろうと思って書いてけしてみる
自分の場合、
本当に辛くて「もういいかもなぁ……」とドロップアウト的に考えるレベルはあまりない
真面目に生死について考えてみたりしてこじらせることはたまにある
安楽死をもっとカジュアルにした/sta/選択死なるものを考えてみたりする
生きるために進化してきた脳が考えることが「死にたい」なのが人間の不思議
ほかの生物は死にたいと思うのだろうか
以前も似たこと書いたな
安楽死ボタン
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小学生の時に「飛び降りたら楽になるかなぁ」と考えて母の悲しそうな顔が思い浮かんでやめたことはある
何がそんなに辛かったのか今ではさっぱり覚えてないので、死ななくてよかったと思うw
「肉体から解き放たれたい」的なことを言って周りが勘違いすることがあるけど、これは希死念慮ではないのでご安心をw
自己申告ハードル高いかもしれない
あとは「考える」の定義というか解像度
わかるyosider.iconinajob.icon
rickshinmi.icon
無いって言ったら嘘になるし、小中高の期間で何度かあるけど結局自殺によって煩悩から解放されて解脱できるって考えてたんだろうなぁって今となっては思ってたりする。
最近あらゆるタスクから解放されて幸せすぎて逆にこのまま死にたいみたいなこと考えちゃったりする
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生きていても苦悩ばっかでずっと悩み続けないといけなくて、それって生きてる意味ある?と思ってる
この考えは今も全く変わっていない
ただ死ぬのは簡単じゃないし、一周回って勿体ない気もするので
たった一度与えられた命はチャンスだから
https://open.spotify.com/track/023yC0KfcL8PK18q4ZjneG?si=97ab7725006443c1
とにかく自分を磨いて完成させて、死ぬまでに生きてる理由を作ってやろうというのが今の考え
現実問題、そこまで上手くいってはいないけれども
あんまり考えたくないけれど、完成せずに詰みに入ってしまうのがとても怖い
老いとか
健康面
経済的な理由もあり得るかも
ここであまり書くことじゃないかもしれないけど、もう詰んでいると思いこんですべてを投げ出している節がある。いろいろうまく行かないのって、突き詰めるとそういう思いこみがなくなっていないから何じゃないかと思っているtakker.icon
まあ別にそれでもいいかなーって感じですMijinko_SD.icon
結果的にどうにかなればいいのです
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人生は旅みたいなものかなと思ったり
いろいろあるけど、旅の途中だしいきなり終了するのもなーみたいな
普段は考えないけど、小説などを読んだりするととこの手の考えが浮かぶ
宗教観のようなものだと思うが、違う宗教の方は全然違う考えなのかなー
はるひ.icon
多分ない
他殺は自殺ほど考えられていない?
少なくとも法のもとでは
大人が本気で他殺を考えることは基本ないと思う
あるわはるひ.icon
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大学院生の時に過労で調子を崩して以来8年間、考えなかった日が1日もない
1日に30分から1時間くらいはそういった気持ちや考えで頭がいっぱいになって作業が手につかない
実行しないという結論に行き着くのは決まっているので、考えてしまう時間は非生産的だな〜と思っている
maichan.icon
未遂はどれも中途半端で、結局生きているので、もう死なないんじゃないかなとさえ思うことがある
残された人が困らないようにエンディングノートを書いたこともあった
自殺を考えるときって切羽詰っていることが多いと思うんですが、時間を作ってゆっくり「死」と向き合うことで少し落ち着くんじゃないかなと思います
死にたい、よりも「死んでしまう(私が私を殺してしまう)」と思ったことのほうが怖かった
生きたい、という気持ちが負けそうになってしまう瞬間だった
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興味に基づいて真剣に自殺/事故死の方法について真剣に考察した事がある
結果
最も苦痛を伴う死に方の候補を理由付きでいくつか挙げられるようになった
最も苦痛のない死に方の候補を理由付きでいくつか挙げられるようになった
人間の物理的な脆さを知っている
安楽死ボタンなんてなくても簡単に死ねることを知っている
いつでも死ねるので逆に苦しい時に死にたいとは思わない
代わりに思うのが: なぜこんな目に。その原因を覆したい
ついでに他殺/・体処理の方法について真剣に考察したこともある
多分いつでも・せるので逆にムカついても「ムカつくなぁ」で終われる
多分いつでも: いやホントか?ムズいぞ
いざ「できる」となるとやらなくなる
オススメはしない
悪夢を見る時により具体的になるから
いざ死にたい時は、事前に調べた知識により、碌な死に方にならないと瞬時に分かったので死なずに済んだ
楽に死ぬには手間がかかるので死にたい時には実行できない
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自分の場合、自死が頭をよぎったケースは下記の三つぐらい
今のところどれもギリギリ踏み止まったので未遂とかにまでは発展していない
1. 不登校 + 精神症状でどうしようもなくしんどかったとき
電車に飛び込んだら楽になれるかな、とか感じていた
この時は怖くで行為には及ばなかった
2. 自身のジェンダーアイデンティティにクライシスが発生した時
今は落ち着いているけど、これが爆発している時は本当に危険だった
この時は
この問題は生きてる内に解決しないと解決しない
あと下手に死んで現世を彷徨うことになると誰にも相談できなくなる
という考え方に基づきかなり無理をして踏んばった
結果うつ病は大変に悪化した
3. 現世の諸々でうつ病が盛大に悪化して精神が擦り切れた時
この時は
もうなにもかもどうでもいいや、疲れた
という感じになった
なお今は還暦までは生き延びる、という目標を立ている
これは伯父が60歳ちょうどで亡くなったため
なんか気がついたら難病になっていて、治療も効果はあったけどそのまま亡くなってしまった
これ以前にも両祖父母が亡くなっていた事もあって、自分の生死観はかなり変わっていた事も関係する
今となっては人間、死ぬときは死ぬし生き延びる時は生き延びるみたいな感覚で生きている
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だいぶ昔、駅のホームで「飛び込んだら楽になるかな」って思ったり、車運転中に「今横のトラック方向にクイッとしたら」とか思ったりしてた頃がある
この時は脳みそがバグってた
「親より先に死んでは親不孝者だ」という謎の倫理観で踏みとどまってた
あとから思えば、あれは「その時の状況を放り出して逃げたかった」んだと思う
死にたいという言葉は大体全て投げ出してハワイに行きたいと言う言葉に言い換えられるに共感してる
今は、逃げ出したくならないように状況を整えたり、でも逃げ出したくなったら逃げちゃう気持ちで生活してる。
生きてく理由は、「来週のアニメを見たい」「ご飯食べたい」「お布団気持ちいい」「お風呂サイコー!」ぐらいでええんやで。