自分で一歩一歩書いていくことが本質的に必要なのではないか
from 2023/05/25
自分で一歩一歩書いていくことが本質的に必要なのではないか
nishio.icon
精神が空回り
個人の知識ネットワークの相互作用
https://gyazo.com/a5ef505eeddef34776a19dc90bd3295e
Scrapboxの個人プロジェクトはその個人の知識ネットワーク
これをいきなり混ぜてもあまり面白いことにならない
結局別のネットワークだから
取ってきてマージしても「自分の知識ネットワーク」にならない
自分で一歩一歩伸ばしたものしか自分のものにならないように思う
あるタイミングで二人のプロジェクトの特定のページの間につながりが発見されたとする
選択範囲に似ているリンクを入力補完するUserScriptを使っていると、ほかのprojectのリンクがよくサジェストされるのをよく体験するが、それと似ていそうtakker.icon
そうすると「相手のページの関連ページ」が、高い確率で自分のページにとっても関連ページになる
これをたどっていくことで「個人の知識ネットワークに最適化された知識インプット」になる
これはちょっと言い過ぎ感があるけど一旦置いておく
図③によると、自分のプロジェクトのページとして書き直す?yosider.icon
書き直すnishio.icon
というようなことを考えた
こういうのの相互変換はAIが得意そうだけどどうだろう?inajob.icon
意味をそのままに形式を変換する的な
形式が合っていれば自動変換でもいいのか、手動で変換する過程を経ることが必要なのかyosider.icon
自分で一歩一歩書いていくことが本質的に必要なのではないかという気持ちがしているnishio.icon
LLMを使うと頭が悪くなるに関連しそう!star_field.icon
25:00〜30:00までTRUTH, TRUST AND HOPEなんだが、起きてられるのか不安になってきた
23:00 入浴して体温を上げた
運動不足だしちょっと遠目のコンビニまで歩いてくるか
よーし、意見を全部清書して英訳したぞ、アドリブで会話できなくても最悪これを読み上げれば「参加してるけど沈黙」ってのは防げる!
自分で生成する、ということは「自分のもの」にするために重要であるような気がするyosider.icon
(自分の言葉や形式に変換することは完全な生成とまではいかないが)
生成AIは生成を代行してしまうのでそれだけでは身に付きづらそう
一回自分で通らないとその回路が使えないイメージ基素.icon
何度も通って初めて使いこなせる
使いこなさなくても良いから繋がっていて欲しいときはある(セレンディピティ)。発想のタネとして。知識ではない。
実際に脳内の神経回路も異なる部分があるんだろうなたぶんyosider.icon
LLMでスライドのプロトタイプを作ったもののそこからの修正がうまくいかなかった要因の一つはこれかもtakker.icon
自分で作ったものでないから、理解が半端
+1。そうすることでしか「私の」本質は導けないsta.icon
熟読と熟考の両方が要る
熟読 → 「相手のページの関連ページ」まで読む、じっくり読む、ねっとり読む(一行ずつ引用しながら読むとか)
熟考 → 自分の言葉で書きながら考える
そして熟考にはダシにする営みが要るとも思っている
本をダシにするならぬページをダシにする
ダシにする勇気、執念、狂気が要るのかも
ダシストのジレンマもある
マトリックス:
table:t
熟読しない する
熟考しない 1 2
する 3 4
このページは4だと理解
LLM使うのは1,3になるのかな、3はキツイ気がする(or LLMの要約を熟考すれば可能?)
たとえば僕の「知的生産」の定義は、nishio.iconさんとrashita.iconさんの分を関連ページ含めてそうしたから導けたところがある
私の本質、が要らないならここまでする必要はない
たいていの場合、他者の言葉や既存の知識を集めるだけで満足できるし、仕事でも十分通用する
余談だが、僕は4の営みが知的生産だと思っているし、そういう定義を採用することにした
これはまさに4っぽい
inajob.icon
どういうメディアから自分のものとして情報を取り込めるかという話かなと思った
ニュータイプはLLM生成要約や対話からも取り込めるのかも
ニュータイプはLLMみたいなテキストの書き方をするようになりそうcak.icon
自分はすでにかなり影響を受けてLLMと似たようなテイストの文章やmd形式のテキストを書きがち
筆記具で書いて覚える、とかは時代性がありそう
筆記具の次にキーボードがあるけど、その後は?
自分の言葉で書く