片面造語と両面造語
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井戸端で造語に関する話題が増えてきたのをきっかけに、自分でも色々造語系のページを作ってみた結果、気付きつつあることhiro.icon
「私の造語」と呼ばれているもののほとんどは、厳密には新造語というより「新造概念」とそれに対する「新造名辞」の対
一口に造語といっても、大きく分けると「片面造語」と「両面造語」とでも呼ぶべき違いがある
片面造語というのは、「みんなが何となく共有はしているが言語化できていないもの」などに対する造語
芸能人などが広める造語・流行語の類は大体これ
井上陽水『少年時代』における「風あざみ」「宵かがり」のように、初めて聞くはずなのに雰囲気で飲み込めてしまうものとか
商品に全く新規性がなくても、名前とマーケティングだけで売れてしまった例とか
希哲館訳語のように造語性の高い翻訳語なんかもこちらに分類されるだろう
両面造語というのは、「みんなが考えたこともないことの概念化」に対する造語
画期的な新商品の名称とか
希哲館訳語を除く希哲館用語(デライト用語含む)の大半がこれにあたる
最近紹介した例でいえば「フリーソフィー」とか
「浅い造語」「深い造語」といった表現も考えたが、価値の差があるような意図しない語感を伴うので、「言葉だけの新造」「言葉と意味の新造」という意図で片面・両面としておく
この区別がちょっと重要かもしれないと思うのは、両面造語はとかく誤解されやすいから
片面造語も両面造語も、なんとなく見ているだけなら同じ「知らない言葉」でしかない
裏側を覗いてみてはじめて、それが片面か両面か分かる
そもそも新しい概念を表現するために造った語なのに、「簡単なことを難しく言ってるだけでしょ?」なんて思われてしまうのはあるある中のあるある
これはまあ希哲館用語に限らず、あらゆる分野の専門用語が門外漢からはそう思われがち
哲学なんかはなまじ誰でも語れる部分があってナメられやすいからこれで地獄絵図になっていることがしばしばある
それが両面造語、つまりある程度必然性のある造語であることを理解するためにはこの壁を乗り越えてもらう必要がある
が、そんなことは容易ではない
造語を正しく評価するには、その先にある概念も正しく評価できなくてはいけない
が、そんな暇人は世の中に稀
「デライト用語は造語ばかりで云々」と山のように言われてきたけど、デライトの概念群を私より良く言語化できた人は一人もいない
「わけわからんから造語するな」というのは、この文脈では「新しいことを考えるな」と同義、ということになってしまう
それでいいわけもなく
その人の個人語彙における両面造語の多さは、その人の世界観の新規性ないし特異性を反映している
そういう人がもっと欲しいといいながら、でも普通にコミュニケーションしやすい人でもあってほしい、みたいな「床上手の処女」症候群的なところが日本人にはあるけど
ジョブズが日本人ウケするような気のいいおっさんなわけねえだろ、みたいな
でも私はリアルではなぜか無茶苦茶日本人ウケいいんですけどね
だからどう、と結論が出ている話でもないんだけど、考え続けることには意味があるかな
まあそもそも、「理性に訴えるだけでは成功しない」が希哲館事業の根底にある思想で、どこかで壁に突き当たるというのは17歳の頃から想定内、全く問題ないといえば全く問題ないので
むしろ、造語家として話題になっているだけで想定外の大成功では
#造語論