幸せの定義
maichan.icon
自分の中で何かが「満たされつつある」「満たされた」と感じるとき、幸せを感じている…?
mrsekut.icon
人生で最大化したい体験、理想の状態と捉えている
実際はこれは説明が逆で、何のために生きるのか?の答えをとりあえず「幸福になるため」と置いてるからこんな感じになってる
(なぜこんな答えを設定してるかというと、普通にちゃんと答えられてないだけ)
これは理性的な幸せの定義
心ときめく体験
これは感情的な幸せの定義
言語化して、他者と共有するのかなり難しいと思う
個々で幸せの定義は異なると思う
幸せの定義が必要な人は、自分で到達するしかない
上のmrsekut.iconの定義(?)は全く普遍的な定義ではない
例えば、↓こういう考え方は普通にありうる
sta.icon
人間に組み込まれている仕様の一つで、愛を伴う営為による充足
体内の専用の物質が出るレベルで「感じ方が違う」
一人では満たせない
赤の他人よりも「近しい相手」の方が満たしやすい
飽きやすい
比較的持続しやすい(原始的欲求みたいに渇望と充足を高頻度に繰り返す波型ではない)
満たさなくても死なない
関連
究極の境地が「利他」?
何をするかよりも誰とするか
自分だけでできる(?)自己実現の欲求を満たすことは幸せにはつながらないのだろうかyosider.icon ここまでの人生経験上、なんか物足りない感じがあるんですよねsta.icon
私は一人でかなりガチに自分を充実させる生き方をしてきたが、満たされていない
もちろん「自分なりに考える」もしてきた
一人でガチるだけでは届かない領域があるといいますか
なるほど、、確かにそんな気がしてきたyosider.icon
なのでたとえば「ノーベル賞もらって名誉も立場もがっぽりだぜ〜」は幸せではない
ただしいろんな人から濃く感謝されたり、素敵なパートナーをえて家族になって……みたいなことがあれば幸せである
sta.icon別案
もう死んでもいいと思えること
たとえば?
「この子が~~となってくれたら、私はもう死んでもいい」みたいなの
(少年向けラブコメでありがちだが)ラッキースケベ時に「オレ、もう死んでもいい……」
自分はそんなこと思ったことないので正直よくわからんが
inajob.icon
ふーむ、子育てを始めてから、水耕栽培などに興味を持つようになったのは偶然ではないのか 植物も養育?
hatori.icon
真面目に考えようとしても明石家さんまの歌う「しあわせって何だっけ」が出てきてしまう... yosider.icon
いろんな種類がありそう
その組み合わせ・比率によっても変わるのだろうか
定量化したい
神経伝達物質を外的に増やすなどして一時的に幸せな状態になっても、その後現実に戻って虚しくなるなら、幸せとは言えないと思う
幸せに関わる神経伝達物質を自ら産み出しやすい状態?
すごく良い事が起こらなくても、日常の小さな出来事に喜びを見出し、神経伝達物質を産出できる
nishio.icon
具体的に実在しているのは「不幸」の側で、「幸福」は「不幸がない状態」だから似たり寄ったりなのである、的な考え
+1かもsta.icon
「プラス稼ぐよりマイナスにならない」生き方の方が積分で見て良いって感じがある
そしてそういう概念を自分でつくってみたりしたこともあったんだった →/sta/フラティズム(人生山あり谷あり?平坦の方がいいだろみたいな路線) 幸福には複数の要因があり、どれが欠けても不幸だが、幸福は全て揃った状態だけだから似るという考え方もできる?yosider.icon
miyamonz.icon
幸福は自分で定義して良い と思ってる
不幸というのは、具体的な〜〜不足とかで生活ができなくなったりして生じる
あらゆるリソースがあったとしても、それが当たり前になって幸せを感じにくくなる
自分で、「こうすると幸せだ」というのを実際に調べながら体感して、基準や定義を修正して自分でコントロールして獲得したら、幸福っぽい気がする
自分でコントロールできない良いことは、まあ幸せと呼ぶこともあるけど、運が良いだけ
運がいい事って幸せとはあまり呼ばない
Mijinko_SD.icon
よくわからないので他の人の記述を眺めている
基素.icon
+1(謎)nishio.icontakker.iconinajob.icon
sk6cleine.icon
現世から離れるときに幸せだったな…って思いたいけど
定義はわかってない。。