倫理が滅びると規制が降ってくる
世間一般の話として、倫理的な振る舞いが失なわれると秩序を守る側から規制という形で制約が課される事がある と言う話をnyarla.iconなりに例えたフレーズ nyarla.iconの言い回しは独特な時が良くある
例えば:
個人情報を事業者が好き勝手に扱い続けた結果、欧州ではGDPRという形で規制されることとなった ここで言う乱暴なモデレーションとは一方的な凍結や報酬の剥奪、削除依頼の放置など
ニセ医療のWELQ問題ではこれが問題視された結果、Google がWELQのようなWebサイトを排除するようになった この結果としてGoogleは権威主義的な傾向を持つ副作用もあったように思うnyarla.icon アフィリエイトで薬事法や景表法のギリギリを攻めるような表現が跋扈した結果、規制が厳しくなった ステマが流行り悪影響が出続けた結果、アフィリエイトへの参加を明示しないと景表法に引っ掛かるようになった この辺りはアフィリエイトサイトで結構話題になっていた記憶がありますnyarla.icon これはどちらかと言うと自主規制に近い文脈だけど、今回の話と近しいことだとnyarla.iconは考えている とは言え実際に GitHubなどでCoCが制定される文化が出来たのは、もうちょっと複雑な経緯がある どうすれば防げるのか
各位が良識と良心を維持した行動を取るしかないのではないか?nyarla.iconkana.icon この文脈において常識を持ち出すのはあまり筋が良くないと思っている これは常識があくまで特定の社会・世界において通用する通念であるため
この「常識」の押し付け合いは文化の衝突にも繋がる話だと思うnyarla.icon しかし良識と良心の維持は大変難しい
SNSの盛者必衰の様子を見る限り、人が集まり過ぎるほど倫理は滅びていく また良識と良心のある事業者であっても、寡占が続き倫理が滅びる場合がある 井戸端での類似する話題
nyarla.icon
このフレーズが指す事象そのものは、世間一般の話だと考えています
tokoroten.icon
この句に続くのは、「規制を理解できるインテリが栄え、理解できない弱者は困窮する」なのかなーと思った、そりゃMAGAになるわなー Mijinko_SD.icon
「常識」や「価値観」は人それぞれだから
わかりやすいのは国が違う場合だが、そうではなくても地域や育ち方や性別等によっても変わってくる
人格の構成要素は本当に多いので、上記はほんの(ほんの)一例に過ぎない
他人全員が同じ常識を持っているという考えはただの思い込み
憚られるべき内容も、大きくではないがコミュニティよって異なる
なので、間違いを減らしたい、もしくはあまり許容できないのであれば、規制(ルール)を作って言語化すべき
言語化されたものは共通認識になるから
今どきの大規模SNSの利用規約で禁止事項が存在しないものが無いように
ちょっとだけやってみたいMijinko_SD.icon
逆にこれ以外で無規制が成り立つパターンを思いつかない
ふと思ったが、井戸端の規制の無さ(利用規約除く)は初見に無法地帯であると思わせる可能性があるのでは? ROMっていれば実際にはそうでもないことがなんとなく読み取れなくもないが
例えばだがこういった要素から無法地帯であると解釈できる説
常にレスバ(実際は議論)している
たまにガチのレスバしてるけど
何を言っても規約違反で無ければ消されない
そうではなくても、規制が無いことから参加者全員は何があっても自己責任であることを承知していると解釈できる 規制が不要になるパターンは
コミュニティが少人数で、なおかつ人の入れ替わりが少なく、互いの常識を共有できている場合
井戸端はこれに該当しない
sta.icon
階層組織だと構造上自治の限界が来て、規制含む管理の仕組みに頼らざるを得ないのかなと思っている
もっと抽象化するとネットワーク型組織
なめ敵や⿻本でもネットワークは推してたはず
「うまくいく小集団」を維持しつつ規模を拡大していける仕組み