ページ数がどれだけたくさん作れるかという議論の意味
デライト.icon
あと、ページ数がどれだけたくさん作れるかというのも、それ自身ではまったく意味を持たない議論。年間で本を何冊読んだか、みたいな指標と同じで。
これに関してはちょっと異論があったhiro.icon
そのうちデライト上でそれなりの文章にはすると思うが、メモ程度に これは恐らく、開発側とユーザーの視点の違いによるものも大きいと思う
当時「ページ数がどれだけたくさん作れるか」を争点としていた私や増井さん、ページ数の多さを宣伝文句に使っていた Helpfeel 社(当時 Nota 社)にとって、ページ数というのは「解像度」に近い概念だったのだと思う
多様なページをフラット(同質的)に扱うウィキのようなシステムの開発者にとって、その「量」というのは唯一といってもいい客観的な指標
「価値のある情報」「価値のない情報」というのは主観に過ぎず知識管理において危険な先入観でもある
多様な情報の点のつながりから新しい知識を生み出すウィキ的システムにとってはむしろ本質的な目標でもある
自分が書きたいことを書いているだけのユーザーにとっては、ページ数はこだわる意味のない指標
むしろ各ページの主観的な価値に意味がある
これは、4K・8K 対応を謳っているテレビの開発者と、映像が綺麗なら良いってもんじゃないよね、わたし昔の名作くらいしか見ないし、などと言っている消費者の関係に似ているかもしれない
あるいは、出版業界と読者の関係にも似ているかもしれない
読者にとっては何冊本を読むかより何を読むかが重要
出版社や書店にとってはどれだけ本を取り揃えて多様な需要に応えているかが重要
倉下さんの本に価値を見出せる人は、人口でいえばごく少数派だろう
でも倉下さんは誰かには届くと思って本を書いていて、それが出版の多様性に寄与している
ちなみに私は、昔からショーペンハウアーの『読書について』に共感しているくらいで、恐らく倉下さんよりはるかに「何冊本を読んだか」に対しては懐疑的hiro.icon ちょっと似た問題で、「いくつ言語を喋れるか」とか「いくつの外国に行ったことがあるか」がある
たぶんどちらも、世界を広さだけで捉えていて、深さに対する視点がない
広さは数値化しやすく、自慢しやすい。この時代ならなおさら
日本語しか喋れないけど物凄く日本語に詳しい人を評価できる人は限られる
なら挨拶程度にでも10ヶ国語喋れた方がいいよね
「こいつの語学力、挨拶程度だな」と思う人は10ヶ国語以上喋れる人くらいなので
外国に行ったことがないけど物凄く自国文化に詳しい人を評価できる人も限られる
なら観光旅行程度にでも10ヶ国行った方がいいよね
「こいつの外国知識、観光程度だな」と思う人は10ヶ国以上行ったことある人くらいなので
ほとんど一都市から出ずに世界に衝撃を与える哲学を作ってしまった人もいるが
数値化されやすい広さに対する懐疑は、心情としては凄く分かる
だからこそ、その違いは明らかにしておきたかった
このページ、またも思わぬ方向に議論が発展していて、不謹慎かもしれないがそれはそれで興味深いhiro.icon
N10K 問題の話題性、無尽蔵かよ
非対称論争問題の一種だなという気もする
不謹慎とか以前に失礼Summer498.icon
ここ相手側のプラットフォーム+かつてのデライトの各種行動に対して引いてる人がそこそこいるコミュニティなのに何しているの……。ちょっとは分をわきまえて行動してほしい。
うーん、言いすぎかもしれない。
でも、勝手に1000ページがどうとか、井戸端の人をリストに放り込んだりして迷惑をかけておいて、その行為の正当性をわずかにでも述べるとか、宣伝が上手く行ったと言うか、相手側の場で述べるのはシンプルに失礼だし自覚してないなら自覚を持ってほしいし、止めたほうが良いと思う。
デライトの有用性について語るのも悪い背景が乗ってるせいで注意深く話さないといけないと思うが、(本当に有用だと信じているがゆえの自信満々なのだろうけど)内容が軽率すぎる。
うーん、言いすぎかもしれない。
うーん、そんなに言い過ぎか?
そもそも、勝手に1000ページがどうとか、井戸端の人をリストに放り込んだりして迷惑をかけた人物が入ってきた時点で「何しに来たか知らんけど出ていけ」でもおかしくないくらいなんだが、それでも「ようこそ」とか「いい話」とか言って寛容に受け入れてくれているという状態
その状態で、デライトにはこんな哲学があってとかあの時はこう考えていてとか宣伝がどうとか二刀流とか言ってるということを考えたらまあ失礼や軽率と言って差し支えないだろう。
今頃になってこんな真っ当な意見が出てくることにびっくりしているhiro.icon
半ば殴り込みに来たつもりが……という感じは正直あった
井戸端民の寛容さも異常だし、こんなことを自問自答している Summer498.icon さんも優し過ぎる
その生々しい自問自答が、こんなにリアルタイムで共有されている Cosense のシステムや井戸端の文化に感動している自分に不謹慎さを感じてはいる
ぶっちゃけ、私が井戸端に来ているのは「件の騒動について説明を求められていた立場」で「しばしば井戸端でデライトをどう理解すべきか悩んでいる人が見受けられる」からで、リクエストにお応えしてという感じがあるので、その範囲内では居続けると思う
「しばしば井戸端でデライトをどう理解すべきか悩んでいる人が見受けられる」
分をわきまえて。Summer498.icon
あんまり余計なことを言うと、それこそ失礼な人間が作成したプラットフォームとして理解される。
それはそれでいいのかなと思っているhiro.icon
自分を素直に表現して、それが悪いと受け取る人がいるならそれも理解のありかた
たぶん、Summer498.icon は物凄く真面目なんだろうなと思う
クソ真面目です。なので軽率な発言を見ると段々怒りが沸騰してきます。Summer498.icon
他者分析により言い当てられたこの体験自体は結構気持ち良い。Summer498.icon
最終的に判断するのは私でもなく Summer498.icon さんでもなく、こうした議論を見ている個々の人達なので
あなた本当に分をわきまえて発現して……。それ正しくても当事者が言っちゃ駄目なやつSummer498.icon
リクエストにお応えして
誰が頼みましたか?暗黙ではなく、明示的に誰が頼みましたか。
迷惑かけておいて貴方がたが頼んだのだから来てやったみたいな語り方はダメでしょうSummer498.icon
あと普通に喋り方に反省の色が一ミリも感じられないので当時を知らない私(Summer498.icon)はhiro.iconの参加以降に当該事件を知ったのだが順当に許せなさと怒りを増幅させています。
これは本来おかしなことです。なぜならば、事件はすでに終わっており、hiro.iconの主張によるとhiro.iconは反省しているとのことなので、事件を知らない私(Summer498.icon)が怒りや許せなさを感じるようなことはないと思うが、その後の発言のせいで終わったはずの事件への怒りが生み出されているわけですから。
反省しているらしい事が書いてあるが、行動に反映されていない。自分勝手な領分で他人の物に口出しをしてトラブルを起こした人物が、相手側のプラットフォームで自分勝手な、しかも当該事件を引き起こした物品の哲学をペラペラと話し続けるというのは、自分勝手な領分で他人にチョッカイを掛けるという本質的な所がなおっていない。
私(Summer498.icon)の中でデライトが引き起こした事件に対して許せなさと怒りを感じたのは事件そのものよりも井戸端参加以降のhiro.iconの言動の中の端々から滲み出る反省していないニュアンスからです。
どういう表現が悪いのか、どういう考え方が元でトラブルを引き起こしたのか、そういったことを何も理解していない(改善されていない)かのような振る舞いであり、率直に言えば直ちに出ていって欲しい気持ちではあります。
それでも、ここは寛容だし、無視すれば今のところ害にはならないから出て行けと言っていないだけで、普通に出ていって欲しい気持ちではあります。言語化して改めてhiro.icon氏の参加以来の行動は分をわきまえていない軽率な行動だと思いました。
vlzs.icon
suto3.icon
Scrapbox(Cosense)の主な顧客は、(昔も今も)企業ユーザーでしょう
企業ユーザーがお金を払ってくれているおかげで個人ユーザーが無料でScrapboxを使わせてもらっているというビジネスモデル
企業での知識管理では、個人ベースの知識管理より、はるかに多くのデータを扱うので、ページ数がたくさん作れるというのも重要な指標でしょう
よくあるWikipediaの日本語版の総ページ数との比較も、企業の担当者に向けたセールストークでしょう
ScrapboxではWikipedia並の規模のナレッジベースが作れます、みたいな
Scrapboxは前身の Gyazzの時代から、スケールする(ページ数が増えても問題なく動く)という点に強いこだわりを持っていました
(これは想像なのですが)企業ユースだと十万ページから数百万ページくらいの規模を想定していたのではないでしょうか
当時の状況、1万ページ越えのプロジェクトがあまりなかったとはいえ、1万ページあたりで限界という言い方はちょっと軽率だったのではないかと思います
これに関しては完全にこちらに非があったと思っていますhiro.icon
主張の本筋は特に変えていないのですが、表現に関しては反省しかないです
というか、当時の増井さんの怒りの背景には間違いなく当時の Helpfeel 社の状況もあっただろうなと思っています
これから Helpfeel を軸に成長していくぞというまさにその時で、顧客企業や投資家たちの関係にも神経質なほど気を使っていたのではないかなと推察します
当時の Scrapbox は Twitter 上の話題も1日あたり数件程度くらいの流速で、あんなツイートをされたわけです
「営業妨害」と言われてもおかしくなかった
確認なんですが、1万ページあたりで限界というのは、人間側の限界で、システム側の限界という意味ではないですよね?suto3.icon
正確に言えば、「ある種の人間が感じる限界」のことですねhiro.icon
例えば、いま私がデライトでやっていることをそのまま Scrapbox でやれと言われたらやはりそれは「限界がある」と感じます
というか私もそれ以前にそれなりの巷のツールを使っているので、1万どころか100ページでそんな気分になった記憶があります
そこはある程度デライトを知っている人なら理解してくれるのではないかと思います
そんな単純なことなんですが、いくらなんでもそれをそのまま押し付けがましく書いてしまった、というのが一番の反省点です
どこでそれを感じたのかが気になるvlzs.icon
もしかしてすでに別のどこかに書いている?
あとで探して読みに行く vlzs.icon
丁寧語で聞きたいけど丁寧語で聞くと答えないといけない感じがでてしまう問題がある
常体で書いて独り言の雰囲気を保ち、答えなくても大丈夫な雰囲気にしたい
suto3.iconは当時、1万ページ越え可能なWikiを探していたのですが、それくらいの実績があるWikiはあんまりなかったですね。(1万ページあたりで限界、というのもそれなりに根拠がありそうな値だった)