なぜなぜ分析
なぜなぜ分析(なぜなぜぶんせき)とは、ある問題とその問題に対する対策に関して、その問題を引き起こした要因(『なぜ』)を提示し、さらにその要因を引き起こした要因(『なぜ』)を提示することを繰り返すことにより、その問題への対策の効果を検証する手段である。トヨタ生産方式を構成する代表的な手段の一つである。 1. そこにリンクがあったから
3. あとでページを作るためにブラケティングしたから
4. 説明が必要なのでブラケティングした
1. クラッキングされたから(禁じ手)
専門的に勉強したわけではないが、トヨタ系列な会社に入って研修を受けたことがある程度としての意見をテキトーに書いてみるHiro Aki.icon
そもそも、なぜなぜ分析を使う時は何かしら不具合が出た時で、その不具合を再発させないために、真の原因を探すために使う手法という認識
原因を探すだけで終わる姿を見ると、なぜなぜ分析となんか違うと思える
一番重要なのは再発させないことであり、そのために色々と考えられているが、厳密にやり方や禁じ手が設定されていない
5回、という規定も書類上まとめるのに規定されているだけで、手法として回数指定はされていない
なぜなぜ分析の結果として残るのは書類であり、その書類に記すのはスペースの関係で大体5回だから5回必須という考え方になったのかなと勝手に推測
禁じ手として「個人攻撃」とあるが、真の原因調査の過程で個人に原因があるのならばそれはそれでよしとする
もちろん、再発防止が最重要であり、個人が悪い、で結論とするのはダメ 他にもトヨタ系列での暗黙の了解、のような前提として完成度の高い物であること
例えば、理論計算や解析、試験などが不十分でうまくいくか分からん状態で製造開始し、失敗して「なぜなぜ分析で真の原因を探ろう」というのはありえない
思いつく可能な限りの手を打って、それでも不具合が発生した、表面上間違いは見えないし分からない、その状態で再発防止させるにはどうすればいいか、なぜなぜ分析で1つずつ詳らかにしよう、という感じ
思い出せた具体例はチップ状の回路素子をレーザーではんだ付けする工程の歩留まり改善
最終的にはチップを置く場所の形状を変更して改善したが、原因を探るための過程になざなぜ分析が使われてた
PDCAの各イベントがきっちり出来ていて、後から振り返りが可能になっていることが前提とも言えそう こうして書いてみると、大量生産に特化した手法なので、安易に他の業種などに展開すると「なんか違う」になるのは当然じゃないかなと思える
少し違うか、大量生産でなおかつ歩留まりを可能な限り100%にさせよう、させるだけの意思がある現場で生まれた手法か
他にも、構成部品の点数が多くて原因が簡単に見つからないとか、組立までの工程が長くなおかつ複数の人員がからむとかか
工程や関係する人員、部品点数が多くて原因が分からんのを見える化する手法、なのに原因とその構成が単純な状況で無理やり適用するのも同じように「なぜなぜ分析となんか違う」と感じる 自分の理解(SIer)sta.icon
プロセスのとおりに動くことが是、という前提がある
その上で「プロセスどおり動けなかったのはなぜ?」を問う、真因を探る
結局パターンは絞られる
プロセスがありませんでした
→ つくれ
プロセスはあったけど、そのとおりに動けませんでした
→ 動け(動いてもらえるようなプロセスをつくれ or そうなるよう直せ)
プロセスはあって、ちゃんと守ってました
→ プロセスがおかしいので変えろ or 新しいのつくれ
プロセスの問題にしなきゃいけないのに「お前が悪い」的な個人攻撃になりがち 厄介なのは実情として「そもそもバカ真面目に守れるようなプロセスじゃない」「まあどこかでテキトーに手は抜くよね」だったりするので、なぜなぜ分析するとそこが露呈する → そいつが悪いんじゃねえか、となりがち
明らかに実施者側が悪い(無能すぎるとか)場合、どうすればいいかはわからん
感覚的には「いや無能な奴なんていない」「誰であろうと同じ働きをするはずだ」的な駒モデルで捉えてるとは感じる
本当に無能な実施者のせいで問題が起きたなら「なぜ無能だと気付けなかったのか→適性テスト導入」とかになるnishio.icon
無能だと思っててアサインして問題が起きたなら、原因は上司の側にある
suto3.icon
トヨタ生産方式では「5つのなぜ」「なぜなぜ5回」という用語だったと思う Wkipedia では同じものという扱いなのか
「5つのなぜ」では5回という数が重要で、普段考えない所まで深堀りして考えろ、ということ
なぜなぜ分析のほうは、回数にはこだわらないが、ちゃんと根本原因まで辿れ、という分析 個人的には、別物だと思う