『〈公正〉を乗りこなす』を読む
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はじめに
選んだことばづかいに影響されて「わたし」が形作られる
この本で扱うのは「正しいことば」
うまく扱うのが難しいと思われていそうなことばを使いこなすヒントを与える
序章 正しいことばの使い方
ほんとうの意味を理解していなくても正しく使うことは出来る
「公正」や「正義」の使い方は英語圏の用法を参照するのが有効そう
日本語がならってきている
よくある表現
「正義の暴走」
「正義の反対はまた別の正義」
ことばの使用における「事故」
コミュニケーションはルールを学び、従うだけでなくルールを想像するゲーム
「会話を止めるな」
「会話の根本的ルールは、それを打ち切らないことである」
1「正義」というテクニック
1章「正義」の模範運転とジョン・ロールズ
当事者的なことばづかいの「強力さ」→3章へ
平等、正義、希望、団結、良識、科学、真実
共和党支持のフレーズ
そうあるべき可能性としての「正義」
正義という言葉が色褪せる
ジョン・ロールズが正義に再び息を吹き込む
正義と善を区別する
個人の価値観
正義
公共的理念を表す言葉
競合する善構想どうしを調停し、合意に至った状態で実現するものであり、そのための一連の手続きである
p 34,35
「ある正義があれば別の正義がある」という言い方を「それは個人が良いと思うこと(善の構想)の話であって、「正義」の話ではない」とする
2章「正義」の前提としての「公正」
we've learned that quiet isn't always peace.
and the norms and notions of what just isn't always just-ice.
「公正」とはどのようなものか
公正であるような初期状態において合議されたものが「正義の諸原理」なのである
「公正」は「正義」の内実ではなく、その前提条件
社会とは「皆で取り組む命がけの挑戦」
各人の多様な善の構想が存在し、ぶつかる場所
便益の分配をどうするか
どういう分配が「正当」かどのように決定するのか
バランスは常に問題になる
社会に参画することで主張できる権利とは、責務とは「自由への制限を同じように求める権利」
コロナ禍の自粛と公正
「公正」は責務である
3章 道徳教育と「正しいことば」の危険運転
9章 理論的なだけでは「公正」たりえない
残酷さにさらされた被害当事者は理性的な言葉を持てない 表現する言葉を持ちえるとすれば「物語」(ルポ、フィクション、詩などが挙げられる) 「じっさいのことばづかい」の例
当事者に依る自己表現も運動の領域だとみなす
私たちの肉体は、生まれた時から、あるいは、CP として発病した時から奪われつづけてきている。
言葉も意識も肉体のあり方を基として発想される。つまり奪われた肉体であるところのCP者は、常に奪われた言葉と意識でしか物を見ることしかできないし、行動することもできないのだ。
場合によっては「正しくない言葉を使う」余地の確保
10章「公」と「私」をつらぬく正義
ロールズの正義はなぜ「よい」ものとして正当化されうるか
12章 正義を巡って会話する「われわれ」
「われわれ」とは誰か
正義をめぐる会話が失敗する瞬間
そもそものけものにされている場合
ここが興味深かった久住哲.icon
不平等を正当化する力
ロールズは「どのように他社に傷つけられたのかを説明する用意ができていなければならない」という
『正義論』「ねたみの問題」
そういう人びとにしか会話に参加する適格性が持てないとしたら、そもそも会話に参加する権利を持っていないのと同然 残酷さの最中で苦しんでいる人は自分の苦しみを言葉にすることができない