Kozaneba読書をやってみよう
整理できていない情報を、小さな付箋を使ってひとりでKJ法をする
デジタルでできる
まず、紙きれを用意する。...
場所はkozanebaをつかおう
その紙きれに、いまの主題に関係のあることがらを、単語、句、またはみじかい文章で、一枚に一項目ずつ、かいてゆくのである。おもいつくままに、順序かまわず、どんどんかいてゆく。...
https://gyazo.com/19b85087fafc8928d0f54b3dd04d8110
まず20枚くらいからやってみようか(あんまり多いとできなくてヤンナル)cFQ2f7LRuLYP.icon
ひととおり、でつくしたとおもったら、その紙きれを、机の上、またはタタミの上にならべてみる。...
もうならんでいるcFQ2f7LRuLYP.icon
紙きれを一枚ずつみながら、それとつながりのある紙きれがほかにないか、さがす。あれば、それをいっしょにならべる。このとき、けっして紙きれを分類してはいけない。
https://gyazo.com/490cde2f423db99e7ebd63edfba12c5d
とちう
何枚かまとまったら、論理的にすじがとおるとおもわれる順序に、その一群の紙きれをならべてみる。そして、その端をかさねて、それをホッチキスでとめる。これで、一つの思想が定着したのである。こうしてできあがった紙きれのつらなりを、わたしは「こざね」とよんでいる。 ここの部分は、梅棹が「自分の脳内の思考断片」をこざねにした上で「文章をアウトプットすること」をゴールに設定しているからこういう形になっているのだと思うnishio.icon
今回は「他人の書いた文章」の断片をベースにして「自分の中の理解をより良くすること」が目的だと思う
YEScFQ2f7LRuLYP.icon
+1はるひ.icon
ので、文章の上で離れている断片の間のつながりを発見できれば前進と考えていいと思うnishio.icon
つながりを1本発見して、2本発見して…とやっていくうちに徐々にネットワークが育っていく
アドバイス多謝cFQ2f7LRuLYP.icon
https://gyazo.com/2c4d5e0198a624d58b4c43ee26cb51ae
つながってきたcFQ2f7LRuLYP.icon
https://gyazo.com/46564f10c71c5910f4563d35cc808e27
カードを補うとちう
面白くなってきた
いい感じnishio.icon
https://gyazo.com/39c368078a169abb46ecf92a7c2c66af
当初と比べるとすごくすっきりした!
ちょっとまとめる
ジュディス・シャクラーは政治哲学が目指すものを「なによりも残酷さを低減させる」ことにおく。
これは「何が目指すべき善/悪か」という残酷さの基準を求めることになる。
この点で、「善の構想」を立てるロールズの議論と親和性があるが、シャクラーはむしろ「何が目指すべき悪か」に注目する。
残酷さの基準を何に置くか?そんなことができるのか?
多数派による力の勾配はある、どっちもどっちという相対主義に陥りがちにも思える しかしシュクラーは「残酷さ」を身体的感覚として人間のみならず動物にも存在するような感覚だと主張する、つまり生物として普遍的なものであるととらえている。
だが、生物に対して普遍的であるとするなら、政治哲学が目指すものの範疇に「動物に対する残酷さ」も課題となるのではないか。
「なによりも残酷さを低減させる」のであれば
文化的伝統において「動物食」を重視する人たちと批判者がいるとき、両者の間にどのような合意がなりたつだろうか?
両者の残酷さの基準は異なる。
ただ社会生活を営んでいくのであればその必要の度合を再評価していく必要がある。
たとえば捕鯨であれば、cFQ2f7LRuLYP.icon
この「必要悪」全くNGにしてしまうと生業にしている人は生活が立ち行かない
年間の漁獲量を決め、だんだん減らしていく(その間に代替できる生業を検討・試行してもらう)
さらにこうした「残酷さに対する低減」は遅かれ早かれなるべく低減したほうが良いという規範がはたらき、実際にその方向へ習慣が変わっていく(p.190)
「なによりもまず残酷さを低減せよ」とは強い原理である
いいね、インプットが噛み砕かれ咀嚼されて、新しい形に再生成されてアウトプットされているnishio.icon
これはいいはるひ.icon