「自分のやりたいことをやる」が流行らなくなるかも
@kensuu: 「個人のやりたいことを追求しているの、自分勝手でかっこ悪いよね」とか「あの人、まだやりがいとかモチベーションとかいってる。自分のことしか興味がないんだね」とか言われる時代がすぐそこなのかもしれない・・・。 興味深い
自分も気になってたinajob.icon
既に「"公"にどう貢献するか」みたいな視点での職選びをしてる人も一定数いそうな気はする これに連なる一連のthreadを貼った方が良さそう
今はモバイルからなのでやりづらい
OKnishio.icon
ありがとうございます!inajob.icon
やりがいやモチベーションがこれの人もいるだろう
CSRなんかはこういうのを意識して書かれてると思う 仕事の分野による偏りも多そう
就職活動の面接などでは、「"公"にどう貢献するか」みたいな話も持ち出して話したり、会社説明の際に「"公"にどう貢献するか」という視点での紹介が行われている
このTweetはこの事実を否定するものではないか
こういうことに関する比重が大きくなるよね、という話
つまり次のトレンドは土木工学ってことですね!(違う)takker.icon
割と「違わない」と思うnishio.icon
AIの性能向上に伴ってデジタル空間上で完結する活動が人間より低コストなAIに置き換わっていく
都市の物理的機能を維持するための土木や建築は、プログラミングや会計に比べて置き換わるタイミングが遅いだろう
他者貢献の話なら随分前からある気がするから差分が知りたい基素.icon モチベーションとか利他性とか社会貢献の欲求みたいなキーワードで出るけど論文はどうかな…
「自分のやりたいことをやる」が流行らなくなるかも
@kensuu: 今後20年で「人は、自分のやりたいことをやったほうが良い」という考えが流行らなくなり、別の価値観になりそうな気がしてます。 ここが戦後アメリカからはじまった自己啓発ブームの終着点かもしれない。 @kensuu: 人間の歴史、かなり長いあいだ「身分とか生まれとかによって人生の少なくない部分が規定される」というのがあったけど、フランス革命などを通じて、その仕組みがだんだんと消えていった。 そのあと来たのが、国民国家の仕組みで、「国家のために国民がいる」みたいな感じになったりして、、 @kensuu: 第二次世界大戦後、だんだんと個人がフィーチャーされるようになっていった。それでも親とかが学校が指示する道に進む、みたいなのが残ってたけど、ここ数十年は「自分のやりたいことをやろうね」という感じになった。 というイメージを持っています。
@kensuu: 最近、人類ははじめて「自分のやりたいことを見つけて、自分の道を決めて、夢中になってがんばるのがいいよね」という感じになったわけです。 悪いミームっぽいinajob.iconnishio.icon 抑圧されていたからそれに対して自由を求めたというのが歴史?基素.icon
いざ自由になるとやりたいことはわからない?
「自分の意思で選べないことは嫌」だけど「選べと言われるのも嫌」?
自由になってやりたいことがあった人がいて、その人たちが抑圧に抵抗して自由を得ようとしたtakker.icon
でもそれ以外の人もいた
自由を求めてない人にも自由が強制付与されてしまった
エレン達は自由を求めていたけど、壁内のほとんどの人はそうではなかった、みたいな
なんか、かつてはお見合い結婚が主流だったのに、「自由」恋愛が主流になった流れを連想したnishio.icon @kensuu: ある意味では、「才能に恵まれた人が、自分のやりたいことを見つけて、それをがんばって結果を出して成功者になる」というのは昔の貴族みたいなものなのかもしれません。 自分でコントロールできる範囲は相当拡大しているものの、その立場になれる人と、そうでない人の格差は大きい。 これは貴族なのだという指摘が興味深いnishio.icon
その差が「本人が成人するより前に親から受けた教育の差」によって発生している可能性
家の文化の差なのかもしれないbiwa.icon
やりたいことをやって良いと思える文化圏の家と、そうでない家
「やりたいことをやって良い」と思える文化圏の家の所得というのが、一定範囲内にしか存在しない気もしている。
金にならないやりたいことをやるためには、ある程度安定した資産が必要とかそういう話かな?inajob.icon
やりたいことで生きていこうとした際に難しいのは、やりたいことで即座に儲けることができないケース
ちょっと違うnishio.icon
「やりたいことをやってよい」と思えない状態に陥った人=貴族政の時代の「貴族に生まれなかった人」という話
貴族政の時代: 貴族に生まれた人↔庶民に生まれなかった人
資本主義の時代: 金のある人↔金のない人
Xの時代: やりたいことをして良いと思える人↔思えない人
「そこに格差があるのでは?」という指摘を興味深いと思った 自分が全く意識してなかったから
すべての人は「やりたいことをできる状態になったらやりたいことをやる」と思ってた
お金のあるなしの違いで差があるだけだと思ってた
この文からそこまでは読み取れず、そう言っているかはよくわからないですが、nishio.iconさんの考察も面白いinajob.icon基素.icon
逆にお金の話は自分には読み取れなかったmtane0412.icon
貴族が例示されてるのでお金以外の身分の決定的な違いの話だと思った
格差はなんかコンピテンシー?とかその辺の差の話かなと思った
やりたいことを見つけるのが難しいというのはわかる基素.icon
鶏と卵問題takker.icon
「才能に恵まれた人が、自分のやりたいことを見つけて、それをがんばって結果を出して成功者になる」がものすごくハードル高いinajob.icon
前述のように、そう思えるかどうか
成功者になれるだけの才能があるのか
頑張れる環境にあるのか
頑張りが持続できるかcFQ2f7LRuLYP.icon
スポーツ系の活動をやりがいにしてる人、比較的多いと思うけど、みんながプロになるわけではない
仮にスポーツ選手となれたとしても、選手活動中や引退後にどうするかとかの諸問題がありそうcFQ2f7LRuLYP.icon
やりたいことができないどころか今までできてたことが怪我の後遺症や老化でどんどんできなくなっていく この話題どこかで…
これが本当に公平性が高いのかというとぜんぜんそうでもないよな、という気もしています。
資本主義だと資本を持てばあとは勝ち続ける設計になっており、初期の運の要素が超強く働きます。
たとえば、実家がお金持ちなら相当有利なゲームですし、どこかで一発当てれば、あとは勝ち続けるのは楽
「貴族」に対するカウンター?cFQ2f7LRuLYP.icon
「やりたいことをやっていいと思えること」が特権的立場なのだとするなら、「やりたいことをやって良いと思えない大衆」がその特権階級を殺す構図になる
昔からあるゴシップとは違うのかな?基素.icon
物理的には暴力なのだが、暴力を振るった側が勝てば事後的に「正義のための戦いで悪が滅ぼされた」となるnishio.icon
「社会から求められて出現している」が事実なら、革命で処刑される側には革命が単なる暴力に見えるのと同じ現象
@kensuu: たまたま初期に勝ったプレイヤーが勝ち続けるゲームって、設計的にはぜんぜんおもしろくないので、大貧民でいうところの「革命」的な仕組みがないとやってられないんですよね。 そもそも人生を勝ち負けとかゲームみたいにあまり思っていないyosider.icon
@kensuu: というので、話が脱線しはじめたので戻すと、「人はやりたいことが誰にもある」「その夢を叶えたほうがいい、夢は叶う」みたいなのとか、自己の幸福の追求をしていく流れは、一部の超勝ち組だけを生み出すだけだと気づかれているので、終わりつつあるのかなと。 定量的に結果が出てるのかな?基素.icon
@kensuu: そうすると、次は、世界大戦に突入した国民国家モデルとは別の、「"公"にどう貢献するのか」みたいな思想が社会の中心になるのでは?と個人的には予想しています。 もう環境問題とか、社会問題の解決とかに重点はかなり移っている感じがするので、方向性としてはこちらかな?と
「"公"にどう貢献するのか」も、受けとりようによっては悪いミームになりそうな気がするinajob.icon 金を得る手段と生きがいは分離した方が良いのでは?
「公に貢献するものが何もない!自分はなんて…(略)」cFQ2f7LRuLYP.icon
恥ずかしい職業 みたいな概念ねinajob.icon
これを連想したnishio.icon
https://gyazo.com/f7120c7eafef38c8f46a449cd09e5a54
日米開戦前夜、京大の哲学教授はいかにしてエリート学生を洗脳し、戦地へ送ったのか? 悪魔の講義の構造を解明する合宿講座全記録。
「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」。日米開戦前夜、京都帝国大学教授・田辺元の講義録『歴史的現実』は戦地へ赴く若者のバイブルとなった。 「国民国家モデルとは別」と言っているけどどう別なのか不明。予想だけどDAOとかが念頭にある基素.icon
歴史的に土地に紐づいて発生した国家とは別に、今はグローバル企業という権力のレイヤーがあって、ロシアに対して独自に制裁したりできているわけなので、そういうものがなかった時代の力関係とはまた別の要素があって違った構造が生まれるのではないだろうかnishio.icon
お金もらってる時点で何らかの社会に貢献してると思うけどな、どうなんだろうbiwa.icon
YouTubeの広告みたいな感じで、人類のたくさんの時間を奪っているシステムは本当に良いものなのかということは常に思う
一方で時間を簡単にお金に変えてサービスが使えているというメリットを享受している基素.icon
流れてくる広告の質もそんなに良くないし...
お金をもらってる時点で誰かの役に立っているみたいなのが正しいのかもbiwa.icon
誰かは社会の生産性を下げることに嬉しさを感じてるかもしれない
だから、お金をもらうことが公?社会?に貢献してることに直結はしない
これやってる時点で「超天才」と言えるのか…?yosider.icon
= 公に貢献する
相手が満足してお金を支払ってるという条件だけだと「洗脳してお布施をさせてる新興宗教」とかも当てはまってしまいそうnishio.icon
主観的にはハッピーだからハッピーかもしれない基素.icon
意図的に騙すのは良くないけど
バイアスがかかると「貢献してねぇ!」って思ってしまいそうcFQ2f7LRuLYP.icon
「公」はただひとつじゃなくて分散する気はしたsta.icon
ただ一つの公が分かれているのではなく、「公」自体が分散していて、人々はどれかに属する(あるいは必要に応じて接続する)みたいな未来
@kensuu: 「個人のやりたいことを追求しているの、自分勝手でかっこ悪いよね」とか「あの人、まだやりがいとかモチベーションとかいってる。自分のことしか興味がないんだね」とか言われる時代がすぐそこなのかもしれない・・・。 やりがい搾取みたいな話も既に出てきているinajob.icon 働き手がたくさんいてさほど儲からない市場は給料が下がりがち基素.icon
給料を上げるメリットがないtakker.icon
対策としては
行政が介入して何らかの支援策を講じる
人にこのように言われることを気にする必要があるのだろうかyosider.icon
本当に貢献したいからするならいいけど、人から後ろ指を指されたくないから貢献したいフリをするのは気持ち悪い @kensuu: 超わかりやすくいうと、Wikipediaのプロジェクトのトークンがあって、運営やユーザー、初期の編集者がトークンを持ってたら今すごい価値になったよね、的なものがたくさん生まれてくるイメージです。株式会社からはちょっと生まれづらいんですよね、Wikipediaみたいなの。 超長期で見たらリターンがあるみたいなもの?そうするとそのトークンの方は短期的には増えないので、超長期でリターンがありそうなものを選択できる人がある程度いないとこのエコシステムは成立しないような気がする(そういう人は多分少ないと思う)。ほかの報酬系と組み合わせるのかな基素.icon
なぜここでクリプトの話が出てくるのか分からないし、運営やユーザー、初期の編集者がトークンを持ってたら今すごい価値になったよねは直前で否定している自分のことしか興味がないと同じようなものなのではshoya140.icon
お金を稼ぐ (資本主義的な欲望のエネルギー)はやりたいこと側だと思うけど、違うのかな
事前か事後かで違うってことなのかなぁ基素.icon
冒頭の"公"にどう貢献するかとはむしろ逆の価値観であるような気がして違和感があった
クリプトの話が出てくるのはこの方がそういう事業に関わっているからと予想基素.icon
+1shoya140.icon
お金のない人がお金のある人にお金を出させるためのシステムとして「借金」「株式」があるわけなんだけど、最近そこにDAOが加わって「この仕組みはすごいのでは?」と盛り上がってる印象nishio.icon
具体的にどうすごいのかはまだ理解してない
単に「株式ではない」ということによって「株式」が満たすべき法律に縛られないから色々新しいインセンティブ提供の方法を模索できてて、それがすごいということなのかも知れない
要はバランスおじさん「自分のやりたいことをやること、人の役に立っていると感じられること、どっちもバランスよく必要」