概念の交差点をどう扱うか
/rashita.iconタイトル改造案「概念の交差点をどう扱うか or 概念の交差点へのタグづけ」
ikkitime.icon元タイトル「概念の交差点」から変更した 内容が膨らんで、こちらのほうが体を表している名になりましたね。
内容が膨らむとタイトルも長くなるのだろうか??nishio.icon
私の中に、上記と類する着想がいくつも貯まっていて
「正義心と単純化思考の関係」のようなリンクを作り
これと同じ構図?
rashita.iconおそらく、ちょっと違う印象です。
rashita.icon今回は、たまたまタイトルが長くなった、というパターン。
最初は「概念の交差点」というものがあるよね、と指し示すだけだったのが、他の人たちが追記したことで、「概念の交差点の扱い方」のような内容になり、それがタイトルになった、という感じ。
場合によっては、このページを概念の交差点としたまま、扱い方を別ページとして切り出すアプローチもあったと想像。
rashita.iconつまり「内容が膨らむ」が多義的だ。
記述の量が増えること
コンテキストが増えること
etc
みたいに人によって解釈が揺れそう。
「内容が膨らむ」が多義的
これが「内容が膨らむとタイトルも長くなるのだろうか??」と書いた時のハテナ感に影響してそうnishio.icon
ハテナ感を言語化すると
短いタイトルは広い範囲をぼんやりと指している
長いタイトルはより狭い範囲を指している
短いタイトルが指す範囲より狭くなったから限定を強めるために単語を増やす必要があったのだ
内容が明確に「絞り込まれ」たからタイトルが長くなった
あれ?「内容が膨らむ」と「内容が絞り込まれる」はミスマッチな感じがあるぞ??
という感じだったように思います。nishio.icon
rashita.iconなるほど。
倉下さんのscrapboxページ
例えば、ikkitime.iconだったら、このページメモには、「正義心」等のタグと「単純化思考」的なタグを多分足す。
(そうして、「タグの多いページ」ができあがるわけなのだが)
ただ、このような種のページは、複数の概念が出会わされ、結び付けられているので、それぞれの文脈から参照されていないといけないのでは? と感じるからそうするのであって、適当に乱打する(している)わけではない……、と思う。
rashita.iconページを作った当人として、「正義心」等のタグと「単純化思考」的なタグを付けるかどうかをちょっと考えてみました。
そういうタグは、不適切ではない。むしろ文脈的に適切。
では、付けるのかというと、たぶん付けない。
むしろ、「正義心と単純化思考の関係」のようなリンクを作り、そのページに何か書こうとするだろう。
なぜか?
おそらく、私の中に、上記と類する着想がいくつも貯まっていて、「これについては何か言えるな」という感覚があるから。
でもって、「これについては何か言えるな」という感覚を言語化していくのが胆。
逆に言えば、そういう感覚がまだ醸成していない場合は、二種類のタグを付けて、その概念の交差を保持しておくだろう。
nishio.icon
試してみた
結果「借り物の文章で、単語が自分の用法と馴染んでないのでさらにリンクを追加し、かつ自分の他のページと接続」という行動が発生した
他