映像インスタレーション
メディアアートとして向き合うとは?
映像の持つ身体拘束性を用いる。もしくは破棄するような映像 例えばエンタメ映像はその身体拘束性を忘れさせるものだ。
(にしても、いくつかの映像展示は映像の持つ身体拘束性に対して無自覚なのかわざとなのか、、、どちらでもあんま良くないと思ってしまうが……拘束性に向き合っている作品はそれをうまく回避したり、逆に主軸になっていたりしていい感じなんだけど…うーん。まあでもこれは本当に映像作品あるあるだ。)
本当に悪い展示があって、長い上に映像的に微妙な映像を無理やり見せてくる。
何がよくないってこれを見せている間周りの光が消え絵画が見えなくなる
つまり映像に無理やり集中させてくる。
これはかなり暴力的でこのことに自覚的になり作品を作るべきだが、中身からはそんなものは感じなかった。 「現代美術の映像作品、自分はそのほとんどがめちゃくちゃつまらなく感じる(尺が長い、立ち見の疲れ、途中から見始めるだるさ等の苦痛も加味)が、あれを真剣に見ていられる人も作り手も全くそうは思わないんだろうか?と素朴にふしぎ。つまらないことが芸術の要件に入っているのかとすら思ってしまう。」
めちゃくちゃいい指摘なのにTwitterでバズってしまうと頓珍漢なことをいうひとたちに絡まれていて可愛そう。