大喜利
https://www.youtube.com/watch?v=GEcUcf4wDqk
サムネ用に
詩と大喜利は同じ営みで動かす感情や情動が違うだけだと思っているが、その話をするには詩の知識がない。 (特にJpopの)作詞と占いも同じ。
創作を表現と変えると少しベン図が変わる気がする。いや同じか?恣意的に可変なものか?
創作がボケであれば批評はツッコミなのではないか
大きく分けて二つある
もしかしたら似ているだけ全然違う話かもしれない。一旦はここに置いておきます。
@hitoshinagai1: 仰るとおり! この韻によって身体が痺れるかどうかが哲学から選ばれているかどうかの分かれ目のようです。主張の内容とは関係なく。 韻が内容の正確性の目印になるというツイートが流れてきた
https://pbs.twimg.com/media/GsY7as2aQAAfRZY.png
この記事のサムネがこれになるのちょっと違うな……
最初にこんにちパンクールのYouTubeを追加した
仮説:言語空間の法則に触れる表現を詩と呼び、大喜利や哲学は言語空間の法則に触れることがあるため詩になる 友人は「実はすべてが詩である」可能性もあると言っていた
我々は一部しか詩として理解できない
本質って言葉もなんか違う気もしていて、言語空間の法則をハックするような表現を詩と呼ぶ気がしている。
本質を法則と変えた
どこで見た指摘なのだろう。気になる。
やはり出てくるのはデュシャンだ。
千葉雅也はお笑いとギャグを対立させて話すが、大阪出身の自分としてはお笑いという枠組みの中にギャグとひな壇があるので用語に注意して読む必要がある。
@masayachiba: 今思ったが、お笑いとギャグには対立がある。僕は関東だからかもしれないが、個人的テレビ史は、ギャグが先でお笑いが後だった。今でも自分のベースはあくまでもギャグであり、お笑いではない。 新喜劇はギャグだと思う。
さんま、島田紳助、ダウンタウン、千鳥、笑い飯など、いわゆる関西芸人と言われている人達が大阪出身率が低いのは大阪自体のベースはギャグだからなのかもしれない。お笑いは大阪近郊で生まれている? まあそう簡単に分類できるようなものではないな。
もはやまったく同意見のツイート
@masayachiba: 韻を踏むというのは、巧みさではなく、いわば「不器用さの巧緻化」だと感じる。それはオヤジギャグにも通じる。 @masayachiba: 最近ちょっと、オヤジギャグについて考えている。あれは、紛うことなく詩的言語なのだが、なぜバカにされるようになったのか、である。 @masayachiba: 現代人がオヤジギャグをバカにするようになったことと、現代詩が超マイナージャンルになったことは、同じことなんじゃないのかな。 具体例
「鏡の味」
「パパが「また来ようね」と言ってる」回答者:山田
「子供の頃は誕生日そのものが綺麗な紙に包まれていた」回答者:爽
「誕生日に洗濯機を貰ったので、誕生日に保証が終わった」回答者:キツル
「あなたのはもっと言っていかないと」回答者:ツイタチ
「昨年の反省を活かし、定価のお刺身を買った」回答者:鶏もも肉部屋干し
https://www.youtube.com/watch?v=zGnM-x_bUOI
志賀:見えない文脈をまず第一に拾って そこから自分の中でどうずらすかというか どう出力するかっていう話じゃないですかあれ
長谷川:自分がこのお題をどういう風に捉えてるかって そのアウトラインが面白くなるというか あれ本当に興味深くて
そのあと歌詞や詩を絡めて話している