名付けようのない戦い
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/emoji/twitter.icon 去年の下記ツイートの更なる補足と説明を書くと言ってから1年くらい経ってしまったので、1万8千字くらい書きました。なぜ盆踊りをやっているのか?など自分の活動の動機を見渡せる内容になっています。6月16日まで無料全文公開。
名付けようのない戦い
テーマは「責めても構わない対象への容赦ない呵責が加速する中、それに同調するか否かの表明による承認が可視化され、その結果、住み分けという名の分断と断絶、及びその対立が加速する世界において、いずれに与することなく、この世界を現実的に一ミリでも良い方向へ動かす為の名付けようのない戦い」 受動的なものとは、自分が生きているこの世界に対する感触のようなものです。
かつての「戦争」というと、国家間で敵と味方に分かれて戦うものでした。 この戦争は良い悪いは別として、大きく各国の経済活動に寄与してきました。大きな戦争のない今、国家にとっては経済を回すために戦争の代替行為が必要となっており、それは地図の上に線を引いて領地の取り合いをするものではなく、個人間の競争原理に基づく延長として、ダイレクトに経済行為に反映されています
簡単にいうと資本主義体制におけるネオリベラリズムということなんですが、敗者には死が待っていることから、これは立派な戦争だと考えています。この戦争に、いつの間にか徴兵されて戦わされている、という受動的な感触がひとつあります。 能動的なものとは、コンサートのマニフェストに書いたように、SNSによって人間の性質というものが変わってきており、そのことに抗いたいという戦いです
今回は主にこちらの能動的な戦いについて書いていきたいと思います。
全体的に最近の言論では、「加速への抵抗」というコンテキストの文章が多い気がする