「マルクスの大霊言」では近代資本主義経済批判にはなっても、現代社会の危機への処方箋にはなり得ない
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人新世の「資本論」のAmazonレビューにあったコメントをishiken_bot.iconに紹介してもらった
「マルクスの大霊言」では近代資本主義経済批判にはなっても、現代社会の危機への処方箋にはなり得ない (10月29日再読後に追記 SDGsへの補足と資本「論」)
1. そもそもSDGsの取り組み自体の解像度が低いんじゃない?
前提として、この本は「SDGsは大衆のアヘンである!」というタグラインが過激かつ、一部インテリ(風)層に支持されている一面もある
このレビュアーは「便乗ビジネス(惨事便乗型資本主義)には辟易している」といい作中の理論に大方同意
しかし、本来のSDGsはこういった設計をされていない
SDGs達成度は200個以上の項目が設定されている
その項目の3分の1以上は、データがまともに取られてきたことがない指標(生物多様性関連指標など)
作中で言われている「犠牲を不可視化」され「外部化された環境負荷」そのもの
今回のSDGsの取り組みでは、そういったものを「可視化していこうよ!」という取り組みである
tkgshn.iconなるほど、さすがは国連といったところだろうか。正統派の力を感じる。
2. 「人新世(Anthropocene)」ってタイトルがセンスないわ
当初からその混用がもたらす語義の拡大解釈や混乱に「ソーカル事件」を念頭に懸念を表明する研究者が多数いた
そもそもあんまりこの人新世というワードの使い方が微妙
タイトルに「人新世」を謳いながらこうした基本的な事実誤認があるようでは、「マルクスが地球環境危機に有用である」という主張をノーベル化学賞受賞者の名前で権威付けして補強したいがためのアリバイ作り程度にしか、この著者も人新世を巡る議論を理解していないと思われてしまうのではないか。
これはまあどっちでもいい批判かもwtkgshn.icon
3. 無理やりマルクスと紐付けがち
そもそもこの本で紹介されている概念や批判は目新しいもんではない
ちなみに、これらはナオミ・クラインの「これがすべてを変える」で提唱された概念がよくある
しかし、これらを「マルクスの遺言」という形に無理やり紐づけるのはどうだろうか
4の批判もかなりみたようなものだと思う
「世界を1つにする」みたいなのをわざわざマルクスにする必要はない
5も同じ、我田引水するなというレビュアーの批判
「21世紀の資本」出版後のピケティが、そのタイトルにもかかわらず”Capital et idéologie”カンファレンスで共産主義・社会主義からの影響を問われて、「資本論は読んだことがないから考えがわからない」と答えているように
7. まとめ:マルクスの紹介としてはいいけど、それらはこれだけでは語りえない
マルクスのエコロジカルな思想の全貌を詳らかにするという著者の研究には敬意を払うものであり、その知られざる構想を紹介する部分については☆5つではある。が、ここまで批判してきたように、本書はあくまでマルクスのオリジナルな思想を、現代社会への処方箋としての復活を唱える呪文としか読めないので☆1つ。
より良い読み方としては、青木孝平のコミュニタリアン・マルクスー資本主義批判の方向転換とかの方がいいよ、とのこと
kota-yata.iconこれ今読んでてめっちゃ思う。まだ半分だけどほとんどがマルクスの思考の変遷を追ってる文章で、マルクスに関する知見は得られるけど結局「共同体の中でどうやりがいを見つけるの?」とかそういうコミュニズムに対する素朴な疑問が解決されないままでいる状態。資本主義を知ってしまった現代社会の人々に古来の共同体の精神を叩き込むのは不可能なんじゃない?というお気持ちで読み進めてる
tkgshn.iconなんかこの本自体は意識高い系を中心に結構売れてるみたい(各大学の生協で売れてる書籍)
その後に古典を遡れるかどうかが、この本をちゃんと読む(ちゃんとってむずいけど)が大事そう。
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筆者(斎藤幸平)はSDGsを理解していない
レビュアーの言論については「SDGs」を参照
「使用価値経済への転換(回帰)」の理論は、現代では役に立たない
「脱成長コミュニズムとして、使用価値経済への転換によって大量消費から脱却できる」というが、それは現代の市場経済では不可能
そもそも、グローバル化した今は誰にとっての使用価値で決めるのだろうか?