関敬吾
昔話「灰坊」の関による整理 ・六十歳になってもなお子供のない翁婆が神に祈願して子供が生れる。子供は九歳(もしくは一、六、二〇など)の時に家を追われる。・主人公は老人に仕え、呪衣をもらう。老婆はかつて助けた蛙ともいう。あるいは猫を殺して、その衣を着る。もしくは翁の汚い着物と自分のを取りかえる。・もしくは少年は森の中で老人に保護される。その小屋は鬼の家にもかかわらず、老人は少年を親切に待遇する。・少年は動物の皮・呪衣をまとって汚い姿になり、老人の世話で長者の家に奉公し、灰坊と呼ばれる。・彼は、美衣をまとって現われる・娘は病気(恋の病)にかかる。占師の助言によって、家来の男の心が解る。下男達に娘の病気見舞をさせると、娘を灰坊に選ぶ。・灰坊は美男になって娘と結婚する。出典:関敬吾(1980)『日本昔話の社会性に関する研究』『関敬吾著作集』昔話の社会性 同朋社出版
主人公、灰坊が家を追われたときの年齢は九歳、一六、二〇歳である。この年齢はすでに成人式=成年式の年齢と関係している。彼は家を追われ、森の中を彷徨って小屋に宿る。未開社会においては成年式の目的のためにつくられた常設的な家屋(Initiationshaus)もしくは臨時の小屋(Initiationshutte)が造られ、成年者は特定期間この小屋の中に幽閉される。日本の慣習においても、若者小屋もしくは若者宿が存在するところでは、若者は特定期間この小屋で行われる。若者小屋は同時に成年式を意味するが、この時多くは非血縁的な有力者が保護人となって立会い、若者頭によって式が執行される。若者宿において若者と年長者には保護人と仮の親子関係が結ばれ、将来若者の後盾となり、保護者となることは、現在の慣習で見られる。「灰坊」の昔話の中に老人が現われ、彼を保護するのは、この慣習と比較される。しかし一方、老婆もしくは山姥も現われることがある。出典:関敬吾(1980)『日本昔話の社会性に関する研究』『関敬吾著作集』昔話の社会性 同朋社出版 共同生活を通して、労働・祭礼・道徳・性・社会的役割を学ぶ。村の年長者(宿主や宿長)が「指導者」「保護者」として若者に助言・教育を施す。これは成人儀礼(Initiation Rite)に類似し、社会的独立と共同体への再統合の過程を象徴している。「娘宿」は女性版であり、家事・祭礼・婚姻などの社会的役割を学ぶ場だった。 娑皮
うばがわ
「灰坊」と男女が反転した昔話 ― 女性の通過儀礼の物語 ― こうじな大尽があって、嫁ぐが娘を一人生んで死んだので、後妻をもらいました。ずっと妻と子供がたくさん生まれました。継母ははじめ(最初)の娘を憎んで、何とかして家から追い出そうと考え、姉婿の乳母にいいつけて、どこへでもよいから連れ出してくれといいました。乳母は承知して娘を連れ出しましたが、途中で捨てて帰ってしまいました。娘は泣いて歩いているうちに一軒の家にたどりつき、そこのお婆さんに頼んで泊めてもらいました。お婆さんは娘に向かって、「お前さんは気の毒な人持っている。きょうもようがあるから、よければ私の代わりに風呂に行ってもらおうか」といって、婆さんの娑皮(はだかわ)を脱いで着せました。娘はそれを着て風呂に行きましたが、帰ってからそのままその皮を脱がずに婆さんの代わりに働いていました。掘旦風呂には村の旦那の家の若旦那が水汲みに来て娘を見初めました。その若旦那はたびたび風呂に通ってきて、婆さんの皮を着た娘を好きになり、ついには妻にしてしまいました。若旦那の母親は「お前のところの婆さんはあんまり若すぎるじゃないか」といって見に行き、帰ってきて「どうもあの婆さんは人間でない、気味が悪い」と言いました。それからというもの、若旦那はだんだんと病気になってしまいました。旦那がふと気づいてみると、その若旦那は家に入ったまま出てこない。母親が言うには「お前の病気はあの娑皮の婆さんのせいだ」と言いました。旦那は気にかかるものなので、若旦那がちょっと頭を上げた時に、そっと皮をはぎました。最後に娑皮を脱がせてみると、若い美しい女が現れたのです。旦那の母親もそのことを聞いてびっくりし、「わたしみたいなことをしてはいけないよ」といって反省しました。それからというもの、旦那の家ではいつも幸せに暮らしたということです。出典:『209.娑皮(はだかわ)』関敬吾(1978)『日本昔話大成』第5巻 角川書店