多和田葉子
多和田葉子は、日本語と独語の二つの舌で世界を撫でる作家だ。1960年3月23日、東京都中野区に生れ、国立の町で育ち、東京都立立川高等学校を経て早稲田大学第一文学部ロシア文学科を卒業する。卒論は詩人ベーラ・アフマドゥーリナ。卒業後ただちに西独ハンブルクの書籍取次に勤め、同地の大学院修士課程に進んだのち、チューリヒ大学大学院で博士号(独文学)を得た。1982年以後ハンブルクに住み、2006年からベルリンに移り、二言語で作品を綴る日々に入る。詩集『あなたのいるところだけ何もない』で独日二言語デビュー、のち『かかとを失くして』で群像新人文学賞、『犬婿入り』で芥川賞に至る。経緯は端的だが、この移動と二言語創作の選択が、彼女の文学を一貫させる核になった。時代は冷戦の翳を引きずり、国境は硬い線を保った。だが若い旅人はシベリア鉄道やバルト海の風と共に語彙を集め、漢字とラテン文字、ひらがなとウムラウトの交差点に立つ自分を意識しはじめる。その自覚は後に「エクソフォニー」と呼ぶ実践へ育つ(母語の外に身を置き、言葉の習慣と感覚の接合部を露わにする書法)。随筆『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』は、その理路と運動の記録だ。多和田葉子は、言葉が身体から独立して流れる瞬間を凝視し、母語の温度を意識的に下げ、外語の凹凸に指先を当てる。二言語の「間」こそ創作の現場だ、という思想が形を取る。『容疑者の夜行列車』は、その思想が物語に結晶した一作だ。二人称で語り手を「あなた」と呼び、旅と遅延、移動と検問の気配を連鎖させ、読者を言語の境界に立たせる。作品は谷崎潤一郎賞と伊藤整文学賞を獲得し、二言語作家の日本語側での達成を明確にした。主人公の移動は地理の移動ではなく認識の移動であり、視点の変位それ自体が事件だ、と示す。2011年の東日本大震災後、作家は原子力をめぐる社会言説の歪みに敏感になり、『献灯使』へ向かう。若者が早く衰え、老いがいつまでも老い切らないという逆説の世界で、言葉の「消費期限」が短くなっていく不穏を描く。英訳『The Emissary』は全米図書賞翻訳文学部門を受け、災後の日本社会と国境の再強化をめぐる冷徹な寓意が国際的に読まれた。文学は国を描写するのではなく、国という語の硬さを診断する、という彼女の姿勢がここで広い共感を獲得する。近年の長篇『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』『太陽諸島』は、一つの島国が姿を消した後を生きる人々の言語実験を追う。登場人物は国名の喪失を軽やかに受けとめ、町や港といった具体の場所に生活を接地させる。パンデミック期にふたたび起動した国境の硬直、ウクライナ侵攻後の欧州の緊張、そうした同時代の衝撃が言葉の感触を変え、作家は港から港へ渡る会話の熱を頼りに世界の輪郭を確かめる。言語は地図だが、地図は一枚では足りない、という認識が作品世界の底に流れる。
受賞歴は、国内外の二つの制度を横断する形で重なる。日本の芥川龍之介賞・谷崎潤一郎賞・読売文学賞・野間文芸賞、ドイツのアダルベルト・フォン・シャミッソー賞・ゲーテ・メダル・クライスト賞に至るまで、評価は「越境の実践」を文学の中心に据える彼女の方法を支持した記録だ。2018年には全米図書賞翻訳文学部門、2024年には日本芸術院賞・恩賜賞が加わり、2025年にはドルトムント市のネリー・ザックス賞の受賞決定が報じられた。制度が異なるほど、評価は重なり合う。評価軸が、言葉の移民性と倫理の探究で一致するからだ。思想の核心は、言葉と身体の距離感だ。多和田葉子は、文字が皮膚に触れるとき微かな疼きを感じ取り、二言語のあいだを滑る呼吸のリズムを聴く。日記的思索『言葉と歩く日記』において、彼女は一つの言葉が別の言葉の影を投げる瞬間に注目し、「安全な直線が初めから存在しない会話」を受け入れる姿勢を示す。ここに倫理がある。相手の言葉の不自由と自分の言葉の驕りを同時に視野に入れ、会話をつづける勇気を持つこと。文学は対話の稽古だ、という価値観が明瞭に立ち上がる。言語観は作風に具体化する。日本語の語根に触れる短篇や戯曲、独語の綴りの裂け目に指を差し入れるエッセイ。初期には翻訳者と並走しつつ稿を往還させ、のちには「連続翻訳」と呼ぶ自家往復の手法で両言語に響きの差異を刻みつける。語彙の増殖は独語側で大胆になり、日本語側では仮名と漢字の比率を微調整して感覚の暗部に光を導く。ここで言葉は単なる手段ではなく、倫理の試練の場になる。影響関係は多層だ。若き日にロシア詩の自在な比喩に学び、ドイツ語圏ではハインリヒ・フォン・クライストの断層を踏み、現代日本文学では後藤明生の文体の緊張と親和を示す。『雪の練習生』は、人間と言語以前の関係を思わせる北極熊の視点から、人の社会と動物の倫理を照射する。熊の舌と人の舌が触れ合う瞬間、言語は器官から外れて漂い、倫理は生存の工夫に変わる。動物が語る声は比喩ではない。声は声のまま他者に届き、読む者の中でゆっくり増殖する。人物像は静謐だが、対話の場では柔らかなユーモアが滲む。早稲田大学などでの朗読や対談に於いて、彼女は常に「生きた会話」を好み、質問の速度に対して考える時間を確保しつつ、言葉を節約する。質疑が終わると、ふっと軽く笑い、余白を残す。その余白は、読者にとっての仕事場だ。多和田葉子は、作品だけでなく場の空気をも設計する。影響と遺産を一語に収めるなら「越境の倫理」だ。国境・言語・種(人/動物)・世代(老/若)といった境界を、越え方そのものの美学として物語化し続ける。その歩みは、翻訳者や編集者、音楽家との協働へ拡張し、文学を単独言語の枠から解放する。受賞の列は勲章ではなく、実験の記録だ。彼女から学べるのは、言葉を所有物と見なさず、共同の空間として扱う姿勢だ。喩えば、ひとの発話が自国の慣習に合わないと感じたとき、怒りではなく驚きを先に置く。その一瞬の配置換えが、世界の形を静かに変える。最後に、『The Emissary』受賞の夜を思い出す。翻訳文学部門の復活は、言語の複数性を公的に祝う儀式になった。壇上の栄誉は、翻訳者と著者の共同体の勝利だと観客に理解された。文学の未来は、この複数性の自覚に懸かる。多和田葉子の仕事は、その未来のための周到な準備だ。言葉は一つの国旗ではない。港で出会った二つの舟の衝突と抱擁、その振動が、読者の胸に長く残る。
日本文学 文学I
エクソフォニー - 母語の外へ出る旅
アフリカ映画『車に轢かれた犬』
https://tutimoto.inaba.ws/honbun.php?bunsyo_id=359
トーマス・マン
リューベック
ハンブルク
マティアス・ヴェグナー
シュテファン・ハイム
アンネ・ドゥーデン
W・G・ゼーバルド
ウルケナ・ドレスナー
ゼーバルド
伊藤ひろみみ
レオンハルト・フランク カリフォルニアには「空気の中に空気がない」いった。
ブレヒト「窓の外をちょっとみただけで深く打ちひしがれた気分になってしまう」
フォイヒトヴァンガー
ドイツロマン派の作家 シャミッソー
アンネ・ドゥーデン
パトリック・ロート「僕のチャップリンへの旅」    
パウル・ツェラン
マンデリしたーむ
コンクレート・ポエジー
夜の映画館 ドイツ語
あふりかーんす語
コサ語
スイスは公用語が500万人の人口なのに、ドイツ語、フランス語、イタリア語、レト・ローマンごがある。
ピグミー
ヨーデル
メラネシアじん
ジークリット・ヴァイゲル教授
私たちの無意識ににどれほどこのような「他人のそら似」的な単語間の関係に支配されているかということは、フロイトの「夢判断」などを読めばわかる。   
ヘルタ・ミュラーの場合は、ドイツ語を母語とするルーマニア出身の作家である。一九五三年、ドイツ語の話されていたルーマニアのニツキ村というところに生まれ,....ルーマニアにはドイツ語を話すマイノリティが存在し、ヘルタ・ミュラーの他にもルーマニア出身のドイツ語作家はたくさんいて、そういう作家だけを招いて文学祭をやっているのも見たことがある。...ハンガリー出身のテレーザ・モラは一九七一年生まれ。成人する前にベルリンの壁が壊れ、ペ レストロイカを体験した新しい世代だ。亡命ではなくドイツに移住して来て、ドイツ語で小説を書いている。 こうして見ると、文学が国境を越えるあり方もいろいろあることが分かる。人は国の外に出て も母語の外には出ない場合もあるし、国の外に出て同時に母語の外に出る場合もある。
バーゼルに滞在中のわたしは、ドイツ語の外に出てしまったわけではないが、それでもやはり 出てしまったような困った状況に陥った。スイスの言葉は、同じドイツ語といっても、沖縄の言 葉と同じで、何ヶ月か滞在しただけではなかなか分からない。それどころか、ずっとつき合って いてもなかなか完全には分からないらしい。フライブルクに住む小説家のカルル=ハインツ・オットの話によると、彼はドイツでもシュヴァーベン地方の生まれなので自分の方言はスイスの言 葉と似ている....
パネル・ディスカッションの時、パネリストの一人であった作家朴婉緒さんに対して、聴衆の中にいた学生が「影響を受けた外国の作家は誰ですか?」という質問を出した。杉婉緒さんは、 ドストエフスキーやバルザックを筆頭に、何人かヨーロッパの作家の名前を挙げた。すると、そ の学生は腑に落ちないというような顔をしてもう一度手を挙げて、「日本の文学は全然読まなか ったんですか?」と尋ねた。今度は朴さんが驚いた顔をして、あなたは外国の作家で影響を受け たのは誰か、と聞いたのではなかったのか、日本文学が外国文学だという発想はわたしたちの世代にはない、わたしたちの若い頃は日本語を読むことを強制され、韓国語は読ませてもらえなか ったのだし、だからドストエフスキーなどヨーロッパの文学も全部、日本語訳で読んだのだ、と 答えた。 母語の外へ出る楽しみをいつも語っているわたしだが、日本人のせいでエクソフォニーを強いられた歴史を持つ国に行くと、エクソフォニーという言葉にも急に暗い影がさす。
中国という文化的巨人と日本という侵略国家の間に挟まれて、韓国は徹底的に自分の言語の純 粋性を求めるようになったのではないか、という印象を受けた。排除する対象は、日本語だけで はない。漢字も排除されていった。「漢字を使わないようにしてハングルだけにしていったら、 昔の本や学術書も読めないし不便じゃないの?」というわたしの質問に対して学生が「でも中国 文化の大きすぎる影響を排除するためには漢字を使っていてはだめだ」と答えた。...だいたい外来語は勝手に 入ってくるのではなく、誰か意識的に入れている人たちがいるのだ。彼らの顔が見えない。...フランス語などは、英語からの外来語が増えないように統制 しているそうだ。それに比べて、日本語という言語は、なんだか衝動買いのせいで狭くなってし まった混乱したアパートの一室のように不要な外来語に溢れている。...中身の分からない外来物 をありがたがる消費者の愚かさに付け込んで新製品を売るために外来語を入れているとしか思えない。「ズボン」など、せっかく長年使われてきて、「ずぼら」や「すっぽん」と似た古風な響き が面白くなりかけてきた単語を、勝手に「パンツ」などと呼び変えてしまう。デパートの洋品売 り場がそういう言葉を使うのは勝手だが、やがて小説の中でもそう書かないとおかしいというこ とになってくる。デパートの方針になぜ小説家が従わなければならないのか。
日本の作家でカタカナを大変意識的に使っているのは、富岡多恵子さんだろう。普通はカタカ ナでは書かない言葉をわざとカタカナで書いて解体していく。「コトバ」は、カタカナで書かれ ると、重さから解放され、不思議さが増し、・シャーマニスティックな様相を帯びる。たとえば 「波うつ土地」という小説ひとつ取ってみても、「カタギ」はカタカナで書かれると、しがらみか ら解放され、「ツッケンドン」は擬態語のようになって面白いし、「ステキ」とか「スキヨ」は俗 語の溜まり場から拾われて舞台に上がって歌い出し、カタカナの「アタマ」「フトモモ」「ヘント ーセン」を持った人間はアンドロイドのようでもあり、同時になまなましくもある。
音楽よりも文学の録音を聞いていることの方 が多いかもしれない。 最近は、本屋でもかなりCDを置いているところが増えた。いわゆる古典文学の朗読カセット だけではなく、スポークン・ポエトリーのようなものや放送劇、作者自身による朗読、音楽家と の共演などいろいろある。圧巻なのは、ダダイストのトリスタン・ツァラの「BRÜLLT(「叫 ぶ」)」という作品の朗読で、この単語をブロンクスは四百十回、繰り返す。ドイツ語のbやrに はもともと恐ろしい振動と爆発がひそんでいるが、一回目からかなり喉を傷めるようなわめき声 で始まり、もう限界ではないか、と思っても、まだまだ終わらず、聞いている方は我慢の限界に きて、早く終わらないかと密かに願いながらも恐いもの聞きたさでスイッチを消す決心はつかず に耐えているのだが、それでもブロンクスは叫ぶのをやめようとはせず、身体が裂けるほど力を こめ、このまま行ったら死ぬのではないかと思っても、まだまだ終わらない。声を出すというこ とはこれほどすさまじいことだったのかと改めて感心する。
現代は現代で、静かながら大変印象深いものがある。たとえ ばデンマークの詩人、インガ・クリステンゼンの自作の詩の朗読CDなど聞いていると、魔法を かけられたような気分になる。又、バルバラ・コーラーやオスカー・パスチオの朗読CDも派手 さはないが、言葉遊びの断面が声になってくっきり浮かび上がり、文字で読んでいる時とは違っ た映像が浮かぶ。 声になった詩は、まじない、祈り、会話、演劇、演説、歌謡など、様々な世界と交わる。 いろな声、いろいろな言語がスピーカーから聞こえてくるのに耳を傾けていると時々、「ネイテ ィブ・スピーカー」という言葉を思い出してしまう。 日本の中学・高校での英語の授業で、たまに「ネイティブ・スピーカーの発音を聞いてみまし ょう」ということがあった。その場合、ネイティブ・スピーカーの声は必ずテープレコーダーか ら聞こえてきた。ネイティブ・スピーカーとは機械のスピーカーのことだった。そのせいか、わ たしは今でも機械から聞こえてくる声の中に、遠くからやってきた人間の声の不思議さを感じて しまうことがある。機械の性能は悪い方がいい。ぶつぶつという雑音のかなたから、途切れ途切 れに聞こえてくるのがいい。
文法も声と深い関係がある。子供は、文字を学ぶ前に文法を学ぶ。...たとえば、動詞に「て」をつける形は、理屈ではなかなか覚えにくい。...「書く」が「書いて」になり、「買う」は「買 って」になる。こんな難しい動詞の変化をなぜ小さな子供が覚えられるのかと不思議に思うが、 よく考えてみると、「て」はおねだりの「て」と形が同じなので子供にとって練習の機会が多い。 しかも、なまの欲望と結びついている。「ねえ、これ買ってぇ!」とか「あれやってぇ!」とね だり続けて覚えるのだろう。基本形を変化させるのではなく、「て」の付いた動詞の形をそっく りそのまま覚える。そして、そのおねだりの「て」が、何年かたってから接続の意味で使われる 場合にも、つい幼児形のメロディーで出てしまうのが、女学生(男の子も含めて)言葉の、「だか らあの服買ってえ、着てみてえ、気に入らなくてえ、またお店に戻ってぇ」という甘えた抑揚の 由来かもしれない。
わたしがハンブルクに来たのは一九八二年のことだが、当時のわたしの耳は今のわたしの耳と は違っていたと思う。ドイツ語はすでに日本で勉強していたものの、聞き取りの能力はなかった。 辞書を引きながらなら、かなり難しい本でも読めたし、文法も単語も分かっているから、こちら から言いたいことは言えるが、相手の言うことが聞きとれない。赤ん坊の逆である。赤ん坊なら 本は読めないし、まだしゃべれないが、人の言うことはかなり分かる。
→外国にいながらでも違う国の言葉は学べる。文学読む、単語、書く。やろう。
「日本では、日本文学と世界文学という区分けをするそうですね。そういう分け方をどう思います か?」という質問が出た。質問をした人は、日本のことをよく知っている人なのだろう。わたし は日本にいた頃には、たとえば文学全集などの、日本文学全集と世界文学全集という奇妙な分け 方を少しも不思議に思わなかったが、確かに言われてみると変だ。この分類の仕方だと、世界の 一部が日本なのではなく、世界は日本の外にあるということになってしまう。 ドイツでは分け方がちょっと違っている。たとえば、現代の作家についての情報をファイル式 に次々と追加していく現代文学辞典があるが、ドイツ語文学と外国語文学という分け方になって いる。日本と世界ではなくて、ドイツ語と外国語となっているところが日本とは違う。ドイツ文学と言ってしまったら、オーストリアやスイスが入らなくなってしまうし、ドイツ語で書いてい トルコ人やチェコ人やその他大勢の文学はどうなるのかという問題が出てくる。
最近ロシアで現代日本文学のアンソロジーが出たが、それは二冊に分かれていて、「OH(彼)」 という方には男性作家の作品が、「OHA (彼女)」の方には女性作家の作品が入っている。これも 又、一種の「分類」である。
ドイツには移民文学というジャンルがある。わたしもドイツ語で書いたものについては移民文 学の作家と見なされることがあり、「移民文学の作家と言われてどうですか。限定されているよ うでいやではないですか?」とインタビューなどでよく聞かれる。「女流作家と言われると、ど んな気がしますか?」という問いが昔はあった。もうだいぶ前から「女性作家」という言い方の 方が一般的になったが、もしかしたらジェンダーは「性」より「流」に近いかもしれない。「性」 は持って生まれた性質や宿命を指すが、「流」は「こんなやり方でやってます」という流儀のこ とだろう。いやなら水に「流」してしまうことだってできる。「女というのはこういうものだと 習ったのでそんな流儀でやってます」とか、「でもその流儀はやっぱり面白くないなと思ったの で最近ちがう風にやってます」ということで、作風が女流なのではなく、人間として女流な人間 が書いた作品をさす意味で「女流文学」と言えばいい。女だから持って生まれた性質や宿命があ ると言いたげな「性」の字には、ちょっといかがわしい真面目さがあり過ぎる。
又、ドイツにはないが、北アメリカ大陸では、人種を問題にすることが多い。カナダのフェス ティバルに呼ばれたら、Literature of Colourとプログラムに書いてあったので驚いた。色彩豊か 女だから持って生き て ドイツにはないが、北アメリカ大陸では、人種を問題にすることが多い。カナダのフ ティバルに呼ばれたら、Literature of Colour とプログラムに書いてあったので驚いた。色彩豊」 には、ちょっといかがわしい真面目さがあり過ぎる。 な文学という意味かと思ったら、「有色人種文学」という意味でそう付けたらしい。
ベルリンで数年前に性をテーマに文学フェステ イバルが数日あって、第一夜が「ヘテロセクシュアル文学」、第二夜が「ホモセクシュアル文学」、 第三夜が「フェティッシュとサドマゾ」、第四夜が「その他」となっていて、わたしはその第四 夜に呼ばれた。多分、事物にも樹木にも文字にもエロスを感じてしまうアニミストとして「その 他」の夜に呼ばれたのだろうが、前日、会場に電話があって、「その他というのはどういうこと をする人たちですか?」と聞いた人がいたらしい。
ある言語 が次第に使われなくなり忘れられていく現象は、ずっと昔からあったのだろうが、それを人工呼 吸によって無理にでも救おうという動きが、ここ半世紀の間に目立つようになってきたように思 う。...たとえばスイスではレト・ローマン語が、アイルランドではゲール語が、地方によっては学校でも教えられるようになり、毎日ラジオから流れるよう になった。 小さな言語保護政策の際、大切にされるのは、詩人である。詩が書かれなければ、その言語が 生きているとは言えない。一つの言語を話す人の数が少なければ少ないほど、詩人の割合は増え るようだ。それは小さな言語が死んでたまるか、と考えたとたんにその言語をしゃべる人を詩人 に変貌させてしまうのか、あるいは政府が詩人を保護するからなのか、分からない。ドイツ東部 のバオツェン付近で話されるソルブ語などは、その良い例だろう。現在ではソルブ語しか分から ないというのでは暮らしていかれないので、みんなドイツ語もできるが、ソルブ語の話せる人は 恐らく全部で三千人くらいだろう、と聞いた。...
簡体字に偏見を持つ日本人は、わたしだけではないだろう。心のどこかで、簡体字などは輝か しい中国の文化史に偶然あらわれた悪戯書きのようなものだと感じている人はたくさんいるだろう。ところが北京から戻って、高島俊男の『漢字と日本人』という本を読んでいると、実はわたしが小学校の時から唯一正しい字として習ってきた日本の新漢字も、漢字など廃止しようという 政治的な意図のもとに急いで作られた簡略体に過ぎず、旧漢字を体系的に理解している人間から 見ればとんでもない矛盾を含んでいるということが分かった。読んでいくうちに、気が鬱々とし てきた。単純化され歪曲されたカタカナ英語ばかり目につく日本語から逃れて、美しい漢字の世 界に浸ろうと密かに計画していたのに、日本の漢字世界も、実は単純化され歪められた中国語に 過ぎないのか。すると今、自分が書いている日本語というものがフェイクの闇市に見えてくる。...自分の習った日本の漢字は正しくて、中国 の 字は政治的な失敗だと、この年まで信じてきたことの恥ずかしさ。しかも簡体 というも のは無意味なだけでなく、たくさんあって習うのは無理だろうと勝手に思い込んで習おうともし ていなかったが、漢和辞典で見たら、たった二ページにきれいに収まっている。こんなものは中 学校や高校の頃なら一ヶ月で覚えられただろう。たったそれだけの努力で、地球の四分の一の人 間が使っている文字が読めるようになるというのに。
文学そのものの持つ移民性を照らし出すために、移民である作家について考えることが役に立つ 場合もあるだろう。 ドイツでは移民二世の作家と話す機会はいくらでもあった。ハンブルク大学で勉強していた時 代からすでに有名だった移民文学の古典とも言うべき、チェコ人のリブーシェ・モニコヴァやト ルコ人のエミーネ・セヴギ・オツダマなど「非ドイツ人」作家の書くドイツ語文学に触れて、外国語で小説を書くということは「普通のこと」なのだと思うようになった。ドイツに渡ったばか りの頃は正直言って母語以外でものを書くことなどありえないと思っていた。しかし、五年もた つと、ドイツ語でも小説が書きたくなった。これは、抑えても抑えきれない衝動で、たとえ書く なと言われても書かずにはいられない。外国語に浸って数年暮らしていると、新しい言語体系を 母語の基盤となっている理論の一部が壊れ、変形し、再生し、新しい自分が 生まれてくる。作家の中には、「元の自分」が壊れた移民状態を極度に嫌う人もいる。たとえば、 母語の中だけに留まり続ければ、「夕涼み」などという日本語を聞いて、そこに古風な美しさを 感じることもあるだろうが、一度そこから離れてしまえば、この「use 済み(ユウスズミ)」とい う使用済みの言葉の涼しさを無条件に信じることはできなくなっている。言葉がぼこぼこと浮き て見えてくる。切れ目ではないところで切れ、さりげなく美しいものは一度は壊れてしまう れないし、もう自然な素振りはできなくなるかもしれない。
あまりカタカナに腹の立った日にはカタカナを使わない文章を書こうとしてみる。すると、文 面が重くなって、メリハリがなく、べったりしてしまう。また、漢字に腹を立てて、ひらがなだ けで書こうとすると、ふにゃふにゃして映像が立ち上がってこない。だからやっぱりカタカナと 漢字とひらがなを混ぜるしかない。これもすべて日本語が背負ってしまった歴史だから
言語はそれぞれ違っているのだから、完全に正しい訳というのはありえない。誤訳があるから作品全体が悪い訳だというわけではな い、という大切なことも沼野氏は書いている。そこがまた、翻訳の面白いところだと思う。
(ドイツのように、、、)
小説家の方も国の税金で食べているわけではないのだから、公務員的な意味では、誰に奉仕する義務もない。それなのに日本では、みんなの心の中に宿った秘密警察が、散文の実験を禁止するのである。 実験小説とかアバンギャルドとか言うと仰々しいが、わたしがここで問題にしているのは、特 別「難しい」小説のことではない。言語、文体、文学の歴史、方法などを意識して小説を書いて いるかいないか、というだけの単純なことで、別に極端な実験文学だけを指しているわけではな い。その程度のことは、ものを書く時の最小限の構えと言ってもいいかもしれない。もちろん、 書いている最中もずっと理屈で判断をくだし続けているという意味ではない。説明のつかない陶 酔状態に迷い込む場合もあるし、無意識のうちに紛れ込むいろいろな要素はある。しかし、「人間」というものが自明のものとしてあるわけではないということや、言葉は自然に心の中から流 れ出てくるものではないということは、常にどこかで自覚していなければ困ったことになる。
現代ロシアの小説家を見ていると、ソローキンにしても、ペレーヴィンにしても、はっきりした方 法意識があることがひと目で分かる。 座談会の時、ソローキンが、「自分の作品を読者がどう思おうと全く関係ない」と発言した。 これはヨーロッパの作家の発言としてはごく平凡なものだが、確かに日本では作家はあまりこう いうことは言わない。案の定、山田詠美さんが、「読者なんかどうでもいいというのは信じられ ない」とすぐに反論した。
モスクワの町の顔は、わたしがよく来ていた八○年代とは変わっていた。ソ連崩壊後、マクド ナルドなどができて、「ハンバーガー」や「チーズバーガー」という言葉がそのままキリル文字 で書いてあったので、ちょっと笑いが漏れた。日本語を習って、日本に来て、「ハンバーガー」 とカタカナで書いてあるのを見て笑うドイツ人の気持ちがやっと分かった。キリル文字のハンバ ーガーを見て、日本みたいだ、と思った。「クレジット」とか「バンク」とかいう言葉がキリル 文字で書かれているのを見ると、資本主義に汚れたロシアという夢を見せつけられたようでちょ っと嫌な感じがする。わたしはドイツという国には何の思い入れもないが、ロシアには感傷的な 愛着を持ち続けている。しかし、それも「クレジット」という言葉が日本でカタカナで書かれて いるのを見て「失われた美しいアジア」を思って悲しむ日本愛好家と同じで、あまり意味のない センチメンタリズムかもしれない。「ロシア愛好家」になるよりも、現在のロシアをもっとたくさん読み、もっと訪れたい。
(多和田葉子著『エクソフォニー - 母語の外へ出る旅』より)
Die 逃走 des 月s」
献灯使 けんとうし
『献灯使』は2014年(日本)に刊行され、震災後・情報社会崩壊後の「鎖国日本」という近未来的小世界を舞台に、世代・身体・言語・共同体の問いを鋭く浮上させる。物語は義郎と曾孫・無名という世代を超えた二人の関係を起点に、国家/言語/日常の危機という倫理的岐路を提示する。
まず基本情報を整理する。本作は小説媒体であり、作者は多和田葉子。2014年10月31日、講談社より四六判上製本の単行本として刊行された。文庫版は2017年8月8日に講談社文庫より刊行された。言語は日本語。ジャンル・様式としては、写実主義からは距離を置き、むしろモダニズム/象徴的ディストピア文学の諸要素を併せ持つ。
物語・構成を概覧する。あらすじ(ネタバレ少なめ)を述べると、大災厄を経て「外来語禁止」「インターネット消滅」「自動車消失」という鎖国状態にある日本を背景に、百歳を超えてなお“死ぬことを許されない”老人義郎と、身体が自由に動かせないが聡明な少年無名が、「東京の西域」にある仮設住宅で暮らしている。少年はやがて「献灯使」として国外へ旅立つ運命を帯びる。
時系列・章立て・幕構成としては、本作は短編5編収録の中篇連作集という形式を採る。収録作品は「献灯使」「韋駄天どこまでも」「不死の島」「彼岸」「動物たちのバベル」。 語り・視点について特定記述は少ないが、本文中では義郎/無名を中心としつつ、ほぼ三人称視点・神視点に近い語りが用いられている。
登場人物一覧は以下の通り(簡略)。義郎――百歳を超える作家、無名――義郎の曾孫とされる身体に制約ある少年、その他義郎の娘・天南、無名の父・飛藻(設定上不在)など。舞台設定は地理的には「東京西域」、社会階層的には災厄後の仮設住宅住まい、制度的には国家・言語・交通・通信が機能停止/法令が言語制限を課すという異化された近未来社会。
主要シーンを縦糸として辿るならば、冒頭には義郎と無名の日常(照らし合う世代間)・身体障害・長寿設定という状況設定が登場し、それは「死ねない老人」と「動けぬ子ども」という強烈な対比を通じて、身体・時間・制度の関係を提示する。次に、言語規制・外来語禁止・インターネット消滅という制度異変が舞台背景としてじわじわ浮かび上がる。この状況が、無名が「献灯使」として海を渡るという結末に至る伏線となる(横糸=象徴・モチーフ)。象徴・モチーフとしては、「献灯使」というタイトルそのものが「遣唐使」の語を借用しつつ別の使命を帯びた派遣者を示す言葉として機能し、また「蛸」の想像(無名が自身の足を蛸の8本足に見立てる)など身体の変形・進化の比喩が用いられてゐる。
制作背景について言えば、多和田葉子が本作執筆時点でドイツ在住・二言語・多文化的経験を持つ作家であることが影響を与えてゐる。震災(特に2011年の東日本大震災・福島第一原発事故)の影響を直接名指しにはしないものの、本作は“震災後文学”の系譜に位置づけられてゐる。 また、彼女自身が言語への遊び・漢字変換・言葉の身体性を重視する作家であり、本作もそれらの作家性が色濃く表れてゐる。
主題を整理すると、第一に〈世代・時間・身体〉の倫理的関係である。死ねない老人と動けぬ少年という構図は、時間の不可逆性・身体の限界・世代継承の構図を逆照射する。第二に〈言語・国家・共同体〉の構造変化である。外来語禁止・通信消滅・鎖国という設定は、言語と国家・世界との関係を問い直す。第三に〈進化・変異・非人間化〉というモチーフであり、身体が弱くなった少年・老人が異様に長寿という状態・蛸化の想像などは、人間中心主義の揺らぎを暗示する。
比較文学的観点から見ると、本作は伝統的ディストピア文学(たとえば1984/オーウェル)やポスト災害文学(震災後日本の文学)と比して、説明過剰な世界構築を拒み、むしろ日常的細部の変異を積み重ねることで異化効果を生む点が特異である。言語運用に於いても、作者独自の漢字語遊びや音響的転倒が目立ち、純文学的実験とモダニズム的手法が融合してゐる。先行研究では「ケアの倫理」や「障害/身体変容」の視点から本作が分析されており、従来型のディストピア分類を超える評価もある。
「昔は、フランスパンとかイギリスパンという言葉がありましたね。そう呼ぶとかえって日本的で懐かしいな。」
多和田葉子 (2017). 献灯使 (講談社文庫) (Function). Kindle Edition.
用もないのに走ることを昔の人は「ジョギング」と呼んでいたが、外来語が消えていく中でいつからか「駆け落ち」と呼ばれるようになってきた。「駆ければ血圧が落ちる」という意味で初めは冗談で使われていた流行言葉がやがて定着したのだ。無名の世代は「駆け落ち」と恋愛の間に何か繫がりがあると思ってみたこともない。
多和田葉子 (2017). 献灯使 (講談社文庫) (Function). Kindle Edition.
暗黒グリム童話集ヘンゼルとグレーテル
パンやと食べるというVを忘れた話。語学感じられて面白かった。
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