GTDの「次にとるべき行動リスト」についてもう一度考える
(takahrt) 「次にすることリスト」はコンテキストごとに整理されている必要がある(p102)とさっき読んだのが、近著には見られなくて珍しい気がしました。 (玄武)そうでしたか。私は、全面改訂版の方でコンテキストごとに整理することを事細かく説かれているように感じていました。 実際に自分がコンテキストで整理できていないということが引っかかっている部分があるので、余計にそう思えたのかもしれません。
52の法則をもう一度、コンテキストごとの整理についてどの程度説いているのかという視点でページを戻ってみたいと思います。
やや早めの昼休みにおいて、3つの書籍をざっと読みくらべてみました。読んだのはこちらです。
52の法則
玄武さんが感想を書いてくれると思いますw
玄武.iconあ、何かタスクが割り振られてますw
P.30
自分は空き時間を有効利用できる人になりたいか、それともそうでないか
そのためにも
P.101
リマインダーを設定しよう。適切なリマインダーなしには、行動を起こすきっかけを失ってしまう
特定の日付にリマインドしてくれるもの
一定周期でリマインドしてくれるもの
何かが達成されたら次にするべきことをリマインドしてくれるもの
ある状況に置かれたらリマインドしてくれるもの
つまり、行動を必要な“状況“で分けるのはリマインドのためであり、
P.102
もっとも能率よく仕事を進めるためには、ある状況にいるときに、その状況で何ができるかを記したリストを見る必要があるのだ。
全面改訂版 はじめてのGTD(2015)
第7章 整理する
p206 なるべく早く実行する行動を、状況ごとに整理する
これは長年の経験からたどりついた結論だが、「時間ができたときに取るべき行動」のリマインダーは。その行動に必要な“状況“で分けておくのがいちばん効率的である。
以下、カテゴリー「@電話、@パソコン、@買い物、等」について7ページ掲載。
第12章 次にとるべき行動を決めると何が変わるか 12ページ掲載
p336
私は「次にとるべき行動」を考える習慣を世界中に広めるのが自分の使命だと考えている。
takahrt.iconすげぇ
p338 行動の選択肢を明らかにする
(前略)なぜそれをやらなかったのか。パソコンの前にいるときに、タイヤを替えるのにパソコンが必要だと思い浮かばなかったからである。
だからこそ、あらかじめ行動の選択肢を考えておくべきだったのだ。次にとるべき行動をすべてリストにしてあれば(後略)
ひとつ上のGTD(2010)
第7章 状況のコントロール 整理
p156 整理のカテゴリー
(大分類)望むべき結果/行動/保留/プロジェクトの参照情報/参考資料/ゴミ 以上の6分類
(中分類)行動
カレンダー/できる状況の時にすみやかに実行/連絡待ち 以上の3分類
(小分類)できる状況の時にすみやかに実行
電話
パソコン
会社
自宅(以下略 およそ10分類掲載)
以上のように「ひとつ上のGTD」では整理のカテゴリー6分類の中に「できる状況の時にすみやかに実行」がある
p167 できる状況の時に速やかに実行 4ページ半掲載。
takahrt.icon はじめてのGTDに比べると、あっさりしている。3大分類のなかの3中分類のうちのひとつという印象。紙幅もあまり取られていないし、アレン氏の筆もあまり熱くない印象を受ける。重視はしているけど熱量が下がっているのだろうか。
p170には「はじめて」には無い記述もある。これは私たちの事ですね。
このような気づきがきっかけで、状況別に仕分けるという方法が誕生した。1990年代にはパソコンを使ったリスト管理もできるようになり、行動を自分の好きなように分類することがさらに簡単になった。
第9章 行動
p202 次にとるべき行動がわかったら
p210
絶対にやらなければならないということではないが、状況別にリマインダーが整理されていれば、あらゆる時点において、できる行動の選択肢が見渡しやすくなる。
ここにも出てきました。
ここまで比較してみると、コンテキストごとの整理については、「はじめて」の方が熱く、紙幅も広く取って掲載されております。「ひとつ上(実践編)」では、同じことは示されていますが、紙面が小さくなり、他の項目との分類の中での1項目のようにも感じられます。
takahrt.icon 私が「「次にすることリスト」はコンテキストごとに整理されている必要がある」と52の法則で読んで「近著には見られなくて珍しい」気がしたのは、おそらく私が新刊の「全面改訂版」はあまり読んでおらず、それよりも古い「ひとつ上(実践編)」の方を良く読んでいるからでしょう。
玄武.icon「全面改訂版」のコンテキストごとに整理されている必要があると説く部分が、旧版に比べてどの程度改訂されているかを比較するとアレン氏がどこまで強く考えているか分かるかもしれません。
これを確認しました。文章の内容について深く踏み込むことは、それぞれの読者で解釈の差があると思いますので、単純に文量を比較してみました。なお両書籍ともに1行の文字数は最大43字でした。
「はじめてのGTD」第二部7章 なるべく早く実行する行動を、状況ごとに整理する
P155から162。8ページ。うち本文115行
「全面改訂版」第二部7章 なるべく早く実行する行動を、状況ごとに整理する
P206から214。9ページ。うち本文128行
実は第二部7章という位置関係も、文量もほとんど変わりがありません。全面改訂版のほうが13行(半ページ程度)増えてますが、「ソフトウェアでは」のように時代に合わせて新しく挿入された文があるからです。
しいて言えば項目の最後にある「連絡待ちの整理」におかれては、コミュニケーションの手法について加筆されて、改訂版のほうが文量が増えてます。
はじめて14行→全面改訂版25行
ゆえに私takahrt.iconの解釈では、アレン氏はコンテキストごとに整理する件におかれては、縮小することも拡大することもなく、価値を維持しておられるようです。
手元に書籍がないので、これは想像ですが、おそらくアレン氏はまだまだコンテキストごとに整理されている必要があると考えていると思います。
なぜなら、そこには「今できないタスクに心が囚われることの無いようにする=水のように澄んだ心」という考えがあるような気がします。
ただ、この考えには若干引っかかる部分があります。
確かに今自分が置かれた環境で、できるタスクに集中するのはいいことだと思います。
確か置かれた場所で咲きなさいといった本があったような。
ただ、そこには、どうも「今できないタスクをできるようにしようとする意思」を感じにくいのです。
例えばここにひとりの働きマン・ウーマンがいるとします。
彼・彼女が職場にいるときネクストアクションリストには、職場でしかできないタスクが並びます。
タスクは、コンテキスト(デスク作業、誰かとの打合せや、上席がいるときにやるものなど)で整理され、状況に応じて、まさに水のような心で仕事をします。
職場にいる間しかできないタスクばかり目に入るので、それに従って職場に長時間いることが多くなります。
そうして、家に帰ってくると妻から小言が、子供達はすでに眠っていてまともに話すこともありません。
されど、働きマン・ウーマンは今日も職場にいく。
たぶんに論理の飛躍、偏りがあることをお許しください。
そこを、コンテキストに縛られずにいると
今日は、家に居るときに観たい映画があるから何時までには、職場のタスクを終わらせよう、とか。
(私です)
昨日は、妻が肩が凝ると言っていたので、寝る前に肩をもんであげる時間も含められるよう、さらに職場のタスクを終わらせよう、とか。
(私です)
そんな風にコンテキストを超えて、考えていくのではないかと思うのです。
と、ここまで書いておきながら、それ(コンテキストごとに整理されている必要がある)とこれ(コンテキストを超えて考える)とは別のことなのでは?と自問する部分もあります。
うーん、全面改訂版P.206で以下の文章を見つけたのでちょっと考え直します
「時間ができたときにとるべき行動」のリマインダーは、その行動に必要な"状況"で分けておくのがいちばん効率的である。
やはり、「コンテキストごとに整理されている必要がある」のは「時間ができたとき」という、あくまで受動的なタスクに対して行うことであり、
私が考える「コンテキストを超えて考える」ような能動的なタスクとは別のようです。
つまり、GTD本には、上記のとおり、
「時間ができたときにとるべき行動」のリマインダーは、その行動に必要な"状況"で分けておくことを説いている。
その逆の「時間を作ってとるべき行動」のリマインダーの扱いには触れていない。
そういうことのようです。
では、「時間を作ってとるべき行動」のリマインダーはどう扱うとよいのか。
これも一つの方法ではあります。
どんな環境(コンテキスト)に自分を置かないと行動できないアクションなのか、その環境を作り出す指針とするといいかもしれない
いや、すみません。上のはリマインダーではありませんね。ちょっとまた考えます。
コンテキスト(状況)で分けてある、分けてないに関係なく、「選択する」たびにネクストアクションリストを見返すことが、リマインダーになるのでは、と仮定します。
ん?そうすると結局、GTD本では
「時間を作ってとるべき行動」のリマインダーは、ネクストアクションリスト
「時間ができたときにとるべき行動」のリマインダーは、ネクストアクションリストをさらにその行動に必要な"状況"で分けておく
といったところでしょうか。
なんだか、一周回って元に戻ったような、狐に騙されたような、そんな結論になりそうです。
とはいえ、自分にとっては、「時間ができたときにとるべき行動」のリマインダーはあまり必要性を感じていないので、これまでどおり細かなコンテキストで分けていない「時間を作ってとるべき行動」のリマインダーとしてネクストアクションリストを使っていくだけでよいとの思いにはなりました。
ただ、「時間を作ってとるべき行動」の下位に「時間ができたときにとるべき行動」にあるような解釈で、少し腑に落ちにくい部分が残るような気もします。
(次に)とるべき行動(ネクストアクション)
時間を作ってとるべき行動
コンテキストで分けなくてもいい
時間ができたときにとるべき行動
コンテキストで分けたほうがいい
こういった構造で理解したほうがいいのかもしれません。
いずれにしろ、コンテキストごとの整理について「時間管理術としてのGTD」が読み取れます。
takahrt.icon これについては、「時間ができたときにとるべき行動」VS「時間を作ってとるべき行動」と反する別々のものとする対的構図ではなくて、「生産性を高める」という大項目におさまる構図ではないかと。
つまり「時間ができたときにとるべき行動」の生産性を高めると、水のように澄んだ心で、ストレスフリーになれる。ならびに「時間を作ってとるべき行動」に全力で向き合える ……という構図ではないかなと思いますよ。
玄武.iconそうですね、私も途中までは対立する構図だったのが、並列して収まった感じです。
とはいえ、メインはこれまでどおり細かなコンテキストで分けていない「時間を作ってとるべき行動」のリマインダーとしてネクストアクションリストを使っていくことで考えています。
takahrt.icon 会社のデスクに座っていて、自分専用のPCが目の前にある状況なのに「@会社」「@PC」コンテキストを使っていたら、それはそれでおかしいですものね。
結局GTDの主題は、書籍の題名にあるように「ストレスフリー」なのでしょうね。52の法則のNUMBER24にもありました。
ストレスを超えて
私が教えている概念やモデルは、生活からいかに不必要なストレスを取り除くかというものだ。
ここまで打ち込みながら自分の中で整理して、いわゆるネクストアクションリストについて、ちょっと捉え方が変わりました。仮説ですが私takahrt.iconが、プロジェクトを建てて終わらすことがGTDであると考えていました。単純アクションリストなんて雑魚キャラの寄せ集めだと思ってました。でも実はコンテキストごとに整理された単純アクションリストを用いて、日々タスクを消化していくことこそがGTDの本質なのではないかなと思い始めました。(プロジェクトなんてまとめて外部に委任できるものだったりする)
rashita.icon個人的な印象ですが、『ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編』は、『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』を読んだ人向けの、プロジェクトの扱いに重点を置いた本だと認識していました。一階部分が『はじめてのGTD ストレスフリーの整理術』で、二階部分が『ひとつ上のGTD ストレスフリーの整理術 実践編』という感じです。
玄武.icon「ひとつ上の」というだけに、ですね、わかります。
takahrt.icon なるほど倉下さん。腑に落ちます。