GTDと7つの習慣
要約
GTD の壁
ワークフローだけでは「次になにをするには答えられても」「何をすべき?」には答えられないのです。
GTDも7つの習慣も「何をすべきか」に答えを出すもの 価値観のワークフローが必要
GTDは現実世界のタスクと時間のワークフロー
GTD がたとえ「簡単で表層的」だとしても、それは自分のなけなしの力をレバレッジするのにどうしても必要なワークフロー
個人的には、7つの習慣だけではなんともならなかった現実がありました。
その理由とは?
仮説
ならないは言い過ぎかも。
優秀なキャプテンが必ずしも優秀なコマンダーにならない?
一般的にはむしろ逆のパターン(優秀なコマンダーが優秀なキャプテンにはならないこと)が引き合いには出されるかも
仮説まとめ
7つの習慣に足りないのは現実に対応できるコマンダー的な存在?
ちなみに
レオ・ババウタさんにとってはGTDでさえコマンダーには手が余る存在ではないかと、さらに小回りがきくコマンダーとしてZTDを提案した?
追記
7つの習慣も宗教的信条(キリスト教でいう聖書等)に比べたら十分コマンダーになり得るかもしれない
7つの習慣は、本質論的なので、それより構造論(方法論?)よりのGTDは、コビー博士がいうところの人格主義から離れた小手先のテクニックに映るのかもしれない。
ここでいう自己管理術は「価値観」から始める「7つの習慣」のことを意識して書かれています。つまり GTD は、こうした一種の哲学的な自己啓発本の教えを、一連のフローチャートに置き換えることで多くの人に自由な解釈を許しつつ広まったというわけです。
(中略)
でも私は、この二つは理論と実践の関係にあると思いますので、 同時に別々の方法で私たちの人生を豊かにしてくれるものだと思っています。
堀正岳さんのブログでは、7つの習慣とGTDは、理論と実践の関係にあるとあります。