「西洋の科学、東洋の科学と日本の科学」
from 25/06/07
「西洋の科学、東洋の科学と日本の科学」
https://seiten.mond.jp/gt6/jpnsci.htm
西洋の科学、東洋の科学と日本の科学(第1回)上原 貞治
高エネルギー物理が専門っぽい
江戸自体の科学の話もあるそこに三浦梅園も出てくる
自然哲学とか自然観というフレーズで見ていけばいいと分かってきた
ゲーテもシェリングも三木成夫もこの観点から見てみると面白そう。
自然観というか、部分ではなく自然全体としての見方というニュアンス
『自然学の提唱』
おもろい、こっからショーペンハウアー、シェリング、フィヒテの自然哲学まで入ってくる
この辺の自然哲学を深めていった人についてはそれぞれ見ていくと全体として何か一つの像みたいなものが浮かび上がってくるかもしれない。
あれ、カントとかヘーゲルも自然哲学という角度から見ていくとめっちゃわかりやすいのでは。
漠然と哲学のすごい人って思ってるとそれを知ったところでどうやねんとなるが、
東西の科学の根源としての自然哲学という概念という視点から見ていく
自分で文脈を作ることで扱いやすくしていく
あ、これは自分の学問を作るときの技法のひとつ、
一般的な理解というか解釈というか客観的に接するのではなく、極めて個人的な文脈で見ていく
イメージとしては情報空間に点在しているそれぞれの情報があって、それらをどういう分類をしてどういう風に階層立てて、どういう経路でつないでいくか、その結び方が自分の文脈ということ
from 25/06/08
2.科学の誕生
日常はいろんな現象に溢れている。溢れているし、その中で人はそれぞれの生活を営む。
この時に、いちいちすべてを根本原理から考えていてはキリがない、生活をしてられない。
それよりも、身の回りの現象について、だいたいこういう法則があると知っておけばいい。
これがある程度当たるならそこには何かもう一段深い法則があるはずということが分かる。
こういう根本原理には到達してないまでお一定の予言が可能なものを「現象論的法則」とここでは呼ぶらしい。
で、この現象論的法則は古代から天文学などいろんな分野で理解されていた。
でもあくまでも一定の予測ができるだけで、確実な法則ではない。
その更に深い根本原理を論理的に説明するものとして科学が始まった、という見方。
3、西洋近代科学の発生
西洋の科学思想はキリスト教が土台にあるため、根本原理はそこと矛盾してはいけなかった。
一方、現象論的法則は、経験によって実証されるべきものと考えられました。
でも
「「根本原理」の知識が、客観的な実験の妨げになっていました。」
なるほど、でもそれはどういうこと。
実証のために客観的な実験が必要ということが認識されていなかった?
ここでベーコンのイドラ論や、ガリレオ・ガリレイの新科学対話で次のステップに進んでいく。
ここでベーコンが出てくるのがおもろい。イドラ論は聞いたことあるが科学とどう対応してるのか一回見てみよう。
『科学の哲学』でベーコンの話出てきてラッキー、やっぱりかなりの重要人物っぽい。
『ノヴム・オルガヌム」って科学的探究に関する本なんか
科学そのものを考えるときにはとりあえずこのベーコン、クーン、ポパーの3人
これも大枠をさらっていく。ちょっとおもろなってきた。
アリストテレスの『オルガノン』が出てきた。
古代ギリシャの科学のやり方はミスっていて、ここで新たな方法にかじを切るべきってことだと思うが、ここでもアリストテレスが出てくる、流石。
geminiによるアリストテレスの『オルガノン』とベーコンの「ノヴム・オルガノム』の対比
これ自体についてももう少し見ていく
科学や哲学全体の話が大学最初でされてもいい
『倫理用語集』でベーコンのところ見てるとこの本の後に『ニューアトランティス』という未完の本がある
これは科学技術の発展が社会を豊かにするという理想像についての物語。
こういうもっと大きな枠のビジョン持ってるもんやんなって思う。
科学それ自体だけを見てるわけがなくて、もう一つ二つ三つ階層が上の世界や社会を見ている。
そこに向かって進んでいく道具として科学があるという解釈になっているはず
それが「エネルギーの源泉から始まるコミュニケーション」
『科学の哲学』のp198からベーコンの『ノヴム・オルガノム』の話と、これとポパーの思想の対比の件が出てくる。
が、今は深堀するつもりはないので、なんとなくで把握して次に進む
本文では、さらっとイドラ論と新科学対話が出てきたが、ベーコンだけでもこんだけ行間がある、
こういうのを埋めていくのがその人の文脈ということ。
例えばいま、ガリレオについてはそこまで広げようと思わなかった。
それは新科学対話のことはなんとなくはしってるから、
だからベーコンのだけ詳しく見てみた。
こういう風に進んでいくと後から振り返ったときに、横にそれて掘り下げたそのルートの全てがその人の興味関心の流れ、文脈ということになる
「ニュートンは、根本原理と現象論的法則のあいだに「中間的な原理」あるいは「より根源的な法則」というものを設置したのです。」
なるほど、つまり、万有引力は100%の予言能力があり正しい法則ではあるが、なぜそれが成り立つのかということまでは分からなかった。
ということは、経験的に大体そうなる、という現象論的法則よりは一階層したの法則であることは間違いないが、根本原理とは言えないということ。
ここで思うのは、物事を掘り下げるというのは階層を作るという意味
from 25/06/12
西洋の科学東洋の科学と日本の科学第三回
まず、江戸時代は朱子学が日本では思想の根本的学問と思われていた。
で、この朱子学は自然哲学から倫理的な部分まで広くカバーしてる
朱子学の自然哲学、
ここもおもしろくて、東洋医学の哲学もちょっと気になる、というかなぜ効果があるのかっていうのはそれを現象論的法則として使うこととは別にちょっと考えてみたいところではある
というわけで、三浦梅園は朱子学の自然哲学に納得がいかず、自分で考えることにした。
三浦梅園の自然哲学
その後オランダから蘭学、または洋学が入ってきたが、これは朱子学、儒学の東洋哲学と特に大きくバッティングすることもなく受け入れられ、志筑忠雄は根本原理は東洋の気でありながら、そこから間の現象論までの説明をおニュートンの科学的法則を用いた。
帆足万里という人は梅園の唯一の後継者と言われてるらしく、東洋哲学と西洋哲学の根本原理の整合性まで議論した。
彼は気の一元論の立場だったので重力と磁力は同じ起源をもつと考えた。
実際は間違っていたが、ちゃんと考えた問題と思われるところを指摘した。
こういうのをみてると、この辺の時代の人らのおかげでと言うとありきたりだが、この流れがあって、西洋の科学が日本にも入ってきて、そこから現代にまで続いていることを実感するというか、この辺の手探りの中研究というか探求を進めてた人らすごい。
第四回
最後また、現代物理の姿勢が東洋の自然哲学的であることに触れている。これはあんま分からんけど、多分、物理学は根本原理に近いその派生の原理を使って現象を説明しているが、その原理が根本原理の派生であるというのはある種信念みたいなことでもあって、数学的なモデルをいろいろ試行錯誤してるのは易を思い起こさせる、と言っている。
中国の気と西洋科学とか古代ギリシャの対応を見るつもりだったが、なんというか、また東洋哲学と現代物理の対応の話になってきた。