証明の原風景
証明の原風景
「証明を支える認識の道具」
スタンフォード大学の数学史家リヴィエル・ネッツだ。彼の著書 The Shaping of Deductionin Greek Mathematics を読むと、古代ギリシアにおける数学がいかに行為であったかということがよくわかる。 数学は行為であった
古代ギリシア数学における図は、抽象的な数学的対象を表現するための手段ではなく、描かれた図そのものが、古代の数学者の研究の対象だったのではないか、というのである。
描かれた図そのものが、表現するための手段ではなく、研究の対象だったのではないか
四角形にしたり加えたりと言った数学的な手続きが、数学者にはまるで「実際に行為しているかのように」感じられたのだ。
数学的な手続きが「行為しているかのように」感じる
数学者にとっては、「知る」ことと「する」ことは、分かち難く一つだったのではないか
「知る」ことと「する」こと
古代ギリシア時代と言えば、文字以前の「声の文化」から、少しずつ「文字の文化」へと移行を始めた時期である。
「声の文化」、「文字の文化」
彼らは書くというよりも描き、語る人々である。そもそも古代ギリシアには、記号もなければ数式もない。その思考を支えるテクノロジーは、わずかに「図」と「自然言語」だけである。
思考を支えるテクノロジー
記号もなければ数式もない
「図」と「自然言語」だけ
いつの時代も数学者たちは、手持ちの資源をやり繰りしながら数学をしているが、古代ギリシアの数学者の場合には特に「図」と、自然言語を生かした「定型表現」が道具であった。
「図」と「定型表現」
「対話としての証明」
地面や木の板の上に描かれた図や、声に出して語られる言葉を道具としていた古代ギリシアの数学的思考の大部分は、数学者の外の空間に「露出」している。それは他者に開かれ、ある種の公共性を帯びた思考である。科学史家の下村寅太郎はその代表作『科学史の哲学』の中で、次のように述べている。 古代ギリシアにおける数学は独白的であるよりも対話的で、それが目指すところは個人的な得心である以上に、命題が確かに成立するということの「公共的な承認」だったのだ。
ユークリッド原論
数学どころか哲学にも繋がっている
というか繋がったのは歴史なのか?