名づけの呪術性
名づけの呪術性
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june29
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人から人へ、口から口へと、言葉が彼のカタチを変えていく
化物語のモチーフには、言葉、名前が先にあってそれが怪異を形作る、というのがあります
これはマンガの中だけではなくて普遍的に行われていることで、形作られるものは「怪異」だけに限らないですよね
【名付けるとは何か】
「名づけ」という行為には必ず「つける」側と、「つけられる」 側が存在する。 人間はモノに名づける時に「つける」側になる。 どう名づけようとモノは何も口出しできない。 賛成もできな いし、反対もできない。だが、人名となると人 間同士の中で「つける」側と「つけられる」側が存在し、「つけられる」側は自分の名を気に入ったり、名乗りたくないというような気持ちを抱いたりすることがある。時には自分の名がからかわれる原因となる場合もある。
個人名こそは「かけがえのないこの私」としかいいあらわしようのないひとりひとりの人間の「単独性」を指し示す唯一無二のものだ。( 『探求Ⅱ』より)
探求
自分の名前を自分自身で名づけるという「自己命名」 が、 どこでも原則的には禁止されている中、たとえ両親が子どもの幸せを願って心を込めてつけた名前であったとしても、「名づけ」とは結局のところ名づける者による、名づけられる者に対する「権力の行使」 (ミシェル・フーコー『監獄の誕生』)を意味する行為だ。(『名前のアルケオロジー』より) 辻貴志
第一章「物に名をつけること」では、日本民俗学に おける命名研究の歴史、命名体系、命名の力について 概説される。
日本民俗学では、早く (昭和初期)から、人びとの生活の構造を解明すべく命名研究が行われてきた。命名研究を先導したのは柳田国男である。 『地名の研究』 では、地名や地形から地域開発の履歴や可能性が考究された。『蝸牛考』、『野草雑記』、『野鳥雑記』では、 生物の名前の分析から、生物に対する人びとのまなざしが明らかにされた。さらに柳田は、各地域の物・行為・行事に関する言語表現資料集成である「分類習俗語彙集」を編纂執筆した。 柳田の命名研究は、名前にとどまらず、人びとの造語力を追求した。 柳田以降の命名研究は、主に固有名詞に向かった。 渋沢敬三 『日本魚名集覧』では、魚名の収集・分類・ 考察が行われた。 川名興は、植物名にオジイのような 語がつけば本物に類似した植物であることを具体的に 解明した。 地名と実生活の関係に注意が向けられた谷川健一編『地名の研究』、 千葉徳爾 『地名の民俗誌』 などの研究も日本民俗学の命名研究を推し進めた。 現在の日本民俗学は、町村合併などにより消失する 地名の保護に活発ではないが、資料の蓄積は行われて いる。
従来の命名研究は、造語法により、的確さや命名の 由来を重視して展開されてきた。 例えば、 犬 (一次命名) 、飼い犬 (二次命名)、柴犬 (三次命名)、ぽち (四次命名)。
一次命名は幼児でも理解できる。
二次命名以下になると雑種として一括され、個々の名前に関心を持たない心性や生き方が問題となる。
一方で、三次命名、四次命名まで熱心に細分化される。
命名研究は、もはや単なる日本民俗学の言語芸術や口承文芸研究の枠を超えている。
命名の主な目的はモノの記号化と弁別であるが、忌み言葉、祝い言葉、呪文・唱え言に確認できるように、命名には言葉に宿る霊力への期待も込められてきた。
地名の研究
蝸牛考
野草雑記・野鳥雑記
分類習俗語彙集
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