2022年を探さないで
https://gyazo.com/bf62235bff04ea38205aad3fe1d6cc0e
始めに
もしかしたら今回のヤツは /cd で書かれるべきだったかも 索引
イーロン・マスクの twitter 買収劇
うずまく承認欲求
アメリカのしぶとさ YOUKOSEKI NOV 29
他のサービスがTwitter利用者の受け皿になれるかというと、というかTwitter利用者のうずまく承認欲求の受け皿になれるかというと、はなはだ疑問である。
プロレスを引退したレスラーがまたいつかリングに戻ってくるように、今回の騒動でTwitterを離れた人達も、承認欲求の誘惑にはなかなか逆らえずに戻ってくるのだ。
枝分かれ分岐を繰り返して
科学も哲学も高く高く積み上がって枝分かれしてバベルの塔よろしく最後は粉々になっちゃうけど、
特異点
フンボルトは歴史の上では、スケールフリーネットワークでいう巨大なノードとして存在する。
特異点とはこんなかんじ
昔のインターネットはもっと小さかった
時間が経つにつれて世界は分断されていく
https://gyazo.com/c0791cff5c28894e77900c9261973114
ねばならない。ならないのである。
終わりに(蛇足 5th Wheel 2 the Coach)
終わりの始めに
毎年、これの記事を書くと、もうあんまり読みたくなくて、
だいたいは、あー、もっと上手いこと書けたとか、もっと違うこと書けただろうとか思う
だけれども、今回は kenmat から「読んだよ」という tweet が届いて気持ちが上がったので、割りと前向きな気持ちで何回か読み返したりした。初めてのパターン
2015年からを振り返る
2015年が一番、言っていることとやっていることが違ってて、全然ベスト・オブ・ザ・イヤーではなかった
「言いたいことは特にない」
今にして思えば、一番、オレっぽい
2016年が一番、ベスト・オブ・ザ・イヤーっぽい記事だったけど、書いているうちに、すでにちょっと違う感があった
書いているうちにどんどん横道にそれた
不完全さが半端なくてあんまり好きな文章じゃなかった
そういう意味じゃ、このアドベントカレンダーは、もう最初の最初から全然ベストについてのものではなかった
2017年のは思いの外、自分以外の人たちに受けて、
無自覚に持っていた、こう書けば受けるだろう的なのが露呈されて、もうこういうのは自分は書かなくてもイイやと思った
2018年のはもう事故みたいなもんで、このときだけは一晩で書いた
書いただけで全然整えていない
だからこの年のが一番気に入っていなかったんだけど、去年読んだら思いの外、良かった
だから2021年のは、見た目ではわかんないけど、2018年のにとても影響されている
ヘッダーの写真が似てる
「2022年を探す」を振り返る
去年は、これまで一番納得いっていなかった2018年を回収した感じだったので
今年は、なおざりにされたままだった2014年、2015年、2016年を回収したいと思ったのでした
この辺は、いつか回収したいという気持ちがずっとあった
オレからすると tumblr 以降の物語
ずっとそこにあったのが、じつは音楽だった、というわけ
そのこと自体、とても意外だった
とりあえず最初に「今週末のプレイリスト」について書き始めたのは、まぐれ
毎回だけど、まぐれ当たり、たくさんあった
「今週末のプレイリスト」の始まりについて書き始めて、ブックオフの話を書いたあたりで、そんな感じになった
決めていたわけじゃなくて、書いているうちにそんな感じになった
ゴールというか着地点が決まって書き始めたことがない
それは無理