可謬主義
認識能力に限りのある私たち人間は誤謬をおかす可能性をつねにもっているという主張である。
「人間は誤りやすい存在であるため、自己のアイデンティティや人生の目的についてでさえ把握することは困難である。人が自分自身や自分自身を取り巻く状況 について認識を深め、人生の目的を吟味し、より善き生き方を模索していくためには、自身の過去の経験や他者との社会的相互作用から学ぶ必要がある。リベラリズムの原理やその政治制度の下では、多様な生き方を実際に試したり、他者の試みから学んだりすることを通じて、各人は自己の善き生き方を最も円滑に探求 していくことができる」