コンテキストの捉え方と扱い方のマトリックス
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発見したい 解釈したい
使いたい 1 2
作りたい 3 4
発見/解釈
発見したい人は、自分でつくるというより外に存在するものを見つける。
解釈したい人は、見つけるのみならず自分でひねり出して見出す。見つけずに行うこともある。
使いたい/作りたい
発見したい人は、使うのが性に合っている。
解釈したい人は、作るのが性に合っている。
作るとは自分で書いたり描いたりすることである。
つまり1か4が良い
(4)
俺が考える「知的生産」もここに入ってるイメージ
オレオレのやり方や在り方を傲慢に、しかし丁寧に、他者に押し付けるのさsta.icon*3
外山も、梅棹も、本質はエゴイストの化け物である
sta.iconぼくと同じさ……
train.icon
rashita.iconさんは反論するかもしれない
いや、これも別に反論はしてなかった。要はバランスだな。
たとえば知的生産物にオレオレ日記が混じっているのは駄目(エゴに依りてページが非難してるのはここ)
だが、オレオレのコンテキストや、それと愚直に向き合って作り上げられたものを無闇に削るのは違う
そのバランスが難しいのだと思うsta.icon
(1)
一番のマジョリティ
なぜなら一番楽だから。一番自然だから。
ただし資質的に欠如していたり、精神的にひねくれていたり、あるいは自分が先進的である場合を除く
そういう奴は1からあぶれる
その中で、どうやればいいかわかっている奴だけが4にたどり着き定着する
2と3はおそらくよろしくない
(3) 発見したい人が作ろうとしたところで作れはせぬ
技術的に、ではなく精神的に
この人たちは自分の外に価値を見出しているので、自分自身で生み出すという営為に手を出せない
たとえば「自分という偏り」に恐怖を抱いてインプット偏執になったり、アウトプット=インプットしてきたもののリンク集、みたいなことになる
「自分の役にしか立たないもの」に価値を見いだせない、もありそう
より一般的に言えば、おそらく「自分を取るに足らないものだとみなしている」sta.icon
wctm
謙遜
ダニングクルーガー
出せるにしても、「こういうのをつくったら認められますよ」など他者からの需要が必要
別の言い方をすると、「自分にしか理解できないもの」に価値を見出すことができない
(2) 解釈したい人が使おうとしたところで使えぬ
正解は自分の中にしかなく、それを理解できうるのも自分だけ
自分でやるしかない
仮に使おうとしても、どうせ自分でアレンジしてしまう