器官なき身体
ドゥルーズ&ガタリドゥルーズ=ガタリにおける器官なき身体とは、その上にあらゆる生の力場が形成される強度゠ゼロであり、その意味において死のモデルなのだ。器官なき身体を志向することは、生の果てなき脱領土化、あるいは脱コード化を推し進めることを意味する。生から制約や抑圧を取り払い(脱コード化)、別の生(別の性、別の人種、等々) に成ること、それは別の側面から言えば、生成変化のたびに死の経験を営むということでもある。そして、そうした生の流れの脱領土&脱コード化の果てに、現実の死が訪れる。すなわち、生物としての物理的な死 器官なき身体とは、理性によって成し遂げられるものではないひとつの抽象である。それは、一次的生産の超越論的な砂漠、あるいは最大の無差別の連続体としての生産の再生産である。〔…〕 不毛性と腐食作用は、実体を侵害することなく変調し、特定の何かを優先することなくみずからの冷たい並び換えを実行する。その経験的な形状がいかなるものであれ、つねに再び生産それ自体がある、