原稿用紙の呪い
原稿用紙を使った執筆では、「いきなり完成形」を書かなければいけない。
筋道の通った
完璧な文章を
そのまま書き下ろさなければならない
そのためには、まずは頭の中で必死にこねくり回す必要がある
無理ゲーではないにせよ、かなり認知的負荷は高い
幼少期〜義務教育で、原稿用紙を使って文章を書くことに慣れてしまうと、そうした知的活動が「書く」の定義になってしまう。
「書く」という行為のメンタルモデルになってしまう。
私たちの認識は経路依存である
このメンタルモデルでは、「きちんとした文章」が頭の中にできあがっていないと書けなくなる
簡単な概念ならともかく、そうでないものは扱えない
それが、文章を書くことの参入障壁としても機能していた側面はあるだろう
『思考のエンジン』が指摘するように、書くための道具は、書くという行為に作用を与える
行為と道具は、互いに独立的ではありえない
ワープロ(デジタル執筆環境)は、そのような呪いを解呪した。
『ワープロ作文技術』
『「超」文章法』
などが指摘している。
最近では、『アウトライナー実践入門』
「考えてから書く」から「考えながら書く」「考えつつ書く」ができるようになった
「いきなり完成形」でなくていい
むしろ、全然未完成なものを、いったん書き出して、そこから考えていい
書き出したものを睨みながら、並び替えながら、考えをまとめていけばいい
最後の最後に、整った形をしていればいい
デジタル執筆環境ではそうしたことが、おどろくほど簡単にできる
それをより強調して言うと書かないで書くとなる。
しかし、原稿用紙のメンタルモデルが形成されていると、デジタル執筆環境に向き合ってもなかなか簡単にはシフトできない。
書かないで書くという、奇妙な言い回しは、そのような意識の変化を促すものである。