2025/6/12
実験的なことは、専用のフォルダを作って試す
読了=>『ファンたちの市民社会』
聴く=>ブレイキング・ベンジャミン/Breaking Benjamin、PARAMORE 「Crushcrushcrush」
もう少しいろいろ調べて、他になかったらこれを買おうと思う。
昨日から、MTGAでFINAL FANTASYのパックがスタートした。
僕とごりゅごさんが「ニュアンス」について述べているのが面白かった。
何かしら発話があったときに、ちょっとニュアンスが違うと感じたとして、まあそれでよいとすることもできるし、「ちょっとニュアンスが違うんですよ」と発話を返すこともできる。で、倉下的に好ましいと思うのは、そうした発話を返す方。
「ちょっとニュアンスが違う」は逆に言えば「だいたいは合っている」のだから流すことも間違いではない。
しかし、そのちょっとした違いにこそ面白いものが眠っている(かもしれない)という感じがある。
日本の様式だと、そういう細かいことを言って場の連帯感(あるいは流れのなめらかさ)を損なうことはよくないとされていたり、単純に反対意見を述べているかのように捉えられてしまい、萎縮が発生することが多いわけだが、知的な会話としてはすごくしょーもない、というのはたしか。
→★細かいニュアンスを大切にする
ほぼ日手帳の冒頭に「年間インデックス」ページがあるが、それに近い印象。
年間インデックスは、一日に一項目に限定されるが、デジタルだとそこの制約は薄い
thinking recordsか
Architecture Decision Record(アーキテクチャについての決定の記録)
まず、Recordは固定でいい。
thinkingは、ArchitectureとDecisionのどちらに対応するか?
「思考の〜〜記録=ならば、Thinking 〜〜 Recordとなる。
まあ、思考ロギングとかロギング思考術とか倉下の用語に引き付ける分岐線もある
Rashita's Thinking Recordなどとして、RTRとする(そして実践する人によって名称が変わってくるという新しい(でもないか、Johnny.Decimalのパクリだ)名づけとなる。 考えていること、考えたことの記録だとして、何についてのかという限定を考えているわけだ。
知的なというような格好いいいいかたもあるし、雑多なものごとを考えていることを示すために雑多なという言い方をしてもいい。
引いては、こういう思考はいったい何をしているのか、という大きな問いにつながっている。
たぶん、まだそれを適切に名指す言葉を持っていない
thoughtful 、inquiry、
研究的思考、探究的思考、とひとまずは呼んでもいい。
少し立ち止まって、考え事とする、という内容ではなくその所作に応じた名前もありうる。
最近のネーミングの潮流で言えば、Personal Thinking Recordだが、それなら名前を持ってきた方がいい。
もう自分の名前でいいんじゃないか、という気がしてきた。
それぞれの人が「自分なりの」システムを作る、という感覚が出ていてよい気がする。
Decisionについて
Zettelkasten的なナンバリングを使うとしたら、仮でも良いから結論は出す必要がある
たぶんこの「結論を出す」は決定と呼べると思う。
そうして出された結論を並べたものは、Concept Decision Record などと呼ぶこともできるだろう。
ただ、これはもともとのネーミングに引っ張られすぎていて自由度が欠けた発想な気もする。
★差異が思考を促す
自分の考えと、少しでも異なる考えに触れることで、自分の考えが駆動される
差異は「少し」でいい。「少し」の方がいい、ということも多い。
思考の改善と、思考の革命
言語活動にはしばしば美学が不足している
なるほど。
美学(aesthetics)
生き方における美学とは何か?
ethics
資本主義活動にも美学は不足している(皆無といっていい)
美学は、実用的な価値基準とは別軸の価値基準をもたらす
それはその人の one's Thinking Recordである
生成されたある概念と、その概念に至るまでの思考(思索)の流れ(フロー、ストリーム、プロセス)が記録されている
思考の流れ / 思索の流れ どちらがよりそれっぽいか
「考えていることの連続的なもの」というイメージは、「思索の流れ」の方がよりクリアになる印象
思索の流れや、概念の制定(定式化)など、もろもろをひっくるめたものを「思考」と位置づけたい
zen思考、だとかなり印象が違ってくる
毎日英語の学習をしているが、一日に一文だけ手書きでノートに書き写す作業がある
以前はMDノートを使っていた
今はルーズリーフを使っている
考えてみると、そうして書き留めた英語の分が並んだページは別段入れ替えることをしたいとは思わない。「操作」の必要性が少ない。まとまった場所に並んでいたら使い勝手が上がるので、メリットはあると思うが、そこまで嬉しさが多いものではない。
もちろん、ルーズリーフを使うからといって必ずページを入れ替えなければならないというものではない。それは利用者が勝手に作り上げた規範性であり、改変することができる。
その場合は、さまざまな用紙が一冊のノートにまとまっている道具、として使うことになる。それはそれで優秀だとは思う。
実際英語の勉強ページは20~25なので5ページは続いている。そう悪くはない、ということだ。
図書館で借りた本のリストや、図書館で借りた本の感想ページもそこそこ進んでいる。
一方でそれ以外のページはあまり振るっていない。
アイデア的なページは数を増やしたいが、機動力の高いバインダーでは数が多く挟めない。ここに問題があるな。
まず、DUO3.0はもう少しで終わるので、それまではこのルーズリーフで続けよう
あと、アイデア的なものは大きめのバインダーにまとめて移動する
挟めるページ数の少ないバインダーは、その「少なさ」が長所になる使い方を見出したい
もしかしたらページ数の少ないバインダーを使っているのが根本的な過ちなのかもしれない
タスクやプロジェクトなどは動かせることにメリットがあるが、それは現状デジタルでやっているので、ルーズリーフでやるのはわざわざ感がある
勉強における概念の整理などは、後から要素が追加される可能性があるのでルーズリーフ向きだが、それもまたデジタルでやっているのでお呼びではない。
はじめる前からわかっていたことだが、ルーズリーフに適したものはだいたいデジタルの方が得意
妻が新しく金魚を購入。
一緒に水槽も新調された。
現在セットアップ中
完成
https://gyazo.com/cd14fc7b7b04101a330d55b1ada62341
もし自分が機械ではなく生命を持った有機体であることを活かそうとするなら、習慣の奴隷ではなく、主人であらねばならないということだ。自ら入念に定めた時間と手法と題材のせいで「息苦しく」なっているという徴候には留意しなくてはならない。もしわずかでもその兆しがあれば、できるだけ早く完全に、また物理的にも精神的にも「屋外」へ出ることだ。
MDノートのノートカバー(透明)
https://gyazo.com/42a5e6c0bbb02ea5ec66adcadcd0a7c9