2025/5/11
朝から地域の川掃除に参加
泥をスコップで掬い上げる作業
もう腕がいたい(疲労)
今日作ったページ
〜〜〜朝の巡回〜〜〜
人と話すだけで停滞していた何かが解消される感じがある
これはたしかにある
うちあわせCastでよくある。面白いのは、「Aをやってます。Bはダメだったんで」みたいなことを話した三日後ぐらいにBを試している自分がいること。
何かが変化している。
自分で記録を書くことは外部化と言えるが、その外部化にも強度があるのだろう。
失敗について
これは失敗=想定した結果が得られないこと、と考えてます。
失敗を「想定した結果が得られないこと」と定義する。そこからいろいろな考えが生まれる。
まず失敗の発生には何かを想定する主体が必要なこと
地球の生態系は「失敗」している、と言うためには創造者が必要
何も想定せずに取り組む行為は、定義からいって失敗はない
意識的な想定と、無意識的な想定(脳内で発生しているシミュレーション)の二つがある
どれを含むかで、失敗と呼べるものの範囲も変わってくる
一つの行為について、関与する複数の主体がありえる
新入社員Aがまかされた作業をうまくこなせなかったとする。しかし、その経験の中で学びを得たとする。そういうことになるだろう、と上司Bは想定していた。
社員Aにとってその行為は失敗だったが、上司にとっては失敗ではなかった(こういうとき、だいたい片方が「失敗」と鍵括弧付きで表現されることになる)
定義から言って、単にうまくいっていないことは失敗ではない。想定した結果が得られないかどうかが鍵になる。
失敗を、単にうまくいっていないことと捉えるか、想定した結果が得られなかったことのみを捉えるかは、存外に「人生観」に影響してくる気がする。
おそらくこの定義は、「実験」という感覚にフィットしそう。逆に、社会的成功の対義としての失敗はおそらくこの定義とは違う使われ方をしているだろう。
日常と仕事と子育てと失敗と成功について
後から考える
冷蔵庫までいって牛乳を飲む、というトライアルはだいたい成功するだろう
生命活動を維持するために呼吸する、とか、限界になるまでにトイレにいくということも同様
書類にサインをするという動作、ハンコを捺す、という動作もだいたい成功する
一方で、「その作業を忘れずに行う」や「段取り良く作業を進める」となると怪しさが出てくる。
行動は複数のレベルの階層で捉えることができ、概ね動作に近いほどだいたい成功する可能性はあがってくる。階層を挙がるほどうまくいかないことは多い。
子育ての多くは思い通りにはいかない(それはつまり上の定義の失敗の連続を意味する)
なぜか? システムを変化させようとする行為だからだろう。小さいレベルとは言え「生態系」を思い通りにするというくらい難しい話。
でもって、それは「自分育て」についても同じに言える。他人を動かすのは難しいから、自分を変えようという自己啓発のメッセージがあるが、自分を難しいのだって同様に難しい
ところで、「想定通りにいかないだろう」という想定を持って望む行為は、どうなったら失敗と言えるか。
飲み会で、自分の話をした後に「自分語りをして申し訳ないけど」と付け加えられる現場に遭遇することが多い。いや、あなたのターンだったし、みんな傾聴していたし、興味深かったし、申し訳なく思う必要はない。
「ノートは増えるけど、結局何が重要なんだっけ? あの情報どこいったっけ? え、そもそも書いたっけ?」(脳内かくれんぼ状態)
「リンクを繋げる作業が目的になっちゃって、肝心のアウトプットが一生出てこない…」(永遠のβ版シンドローム)
「そもそも、毎日続けるのが大変! 三日坊主? いや、もはや一日天下!」(継続は力なり…って誰が言ったの?)
Zettelkastenの「知を構造化する」叡智
すでにここで相違がある。Zettelkastenは議論の流れを作っているのであって、知を構造化していない。いったい誰がどこで言説をねじ曲げていったのだろうか。でもって、議論の流れを作るのではなく、単に知を構造化しているだけだから、アウトプットが出てこないのは当然。Zettelkastenじゃないことをしているのに、Zettelkastenを「批判的継承」することはそもそも不可能だろう。
Z:Dが知的生産のコアメタファーとして採用するのは、「育てる(garden)」でも「構築する(build)」でもなく、「精製(distill)」 です。これは、知能観における「展開を想定した質の高い圧縮」を行うプロセスに他なりません。
メタファーが硬質(無機物)
この手の記事を読むのは好きなハズだけども、1mmも響かない。不思議だ。
遊びの中にゲーム性を何割か含ませることで、適度な刺激・負荷となり、退屈しなくなる。ゲームの中に遊び性を何割か含ませることで、適度な息抜きとなり、プレイを継続できる。
面白い視点だ。
Frontier method 、タイムブロッキング
SacredとFrontier
ProjectsとObligations(意義を感じるものと雑事)
big rocks and minutiae
Bullet Journal.を二つのコラムに分ける
一つのビューで俯瞰するやり方
〜〜〜観察メモ〜〜〜
「思考」という独立的、閉鎖的に行われがちな活動が、ここ最近はわずかに開いた形で行われている感覚がある。完全にオープンでフルに接続しているわけではなく、それぞれ閉じた回路はありつつも、外に通じる「窓」が設置されている感覚。自律的でありながらも、切断的関係もある。 家に、断裁機もプリンタもないのでアナログの「ハック」の可能性がずいぶん狭まっている
買った
https://gyazo.com/9e1504770f993a97b089724a4ead1498
飲んだ
https://gyazo.com/ba14ed9bda60d2eae4daf31a2702624c
ライフインデックスについて考える
Cosenseでぱっと目に付いたノートのタイトルをWorkFLowyに
https://gyazo.com/13faf484f8ca01b5257fab669b0eeb78
どういう整理ができるのか考えてみる
転スラのスキルを統廃合するのと似たような感覚でページを統廃合していく
「認知資源」という言い方をすると、浪費しない、無駄遣いしないという価値観が前提に入り込んでくる気もする。それはそれで一つの捉え方だが、たとえば同じものを「認知的体力」と言い換えたら、受け取り方はどのように変わるか?
メッセージ、トピック、テーゼの関係性を整理すること
強い勉強、弱い勉強
生き方、ライフハック、ノウハウについての自分なりの概念地図を整理すること。ライフハックとストア哲学のつながりも考慮に入れる。
完全型メモツールの仮称:MEMOU
一週間の展望、思考の展望
生成AIで知的生産系の記事はなんかしらないが記事が長い傾向がある。自分で文章を削るスキルが低いのかもしれない。あるいは、《読者のことを考える》が行われていないのかもしれない。 ノート術とカード法という言い方の違い
Aという決定があって、しかしBかもしれないと検討して、いややっぱりAだと決定することと、単にAだと決めることは、「決定」の瞬間だけを切り取れば同じだが、前者はプロセスが折り畳まれている。
「頭を働かせる」のダブルミーニング
一週間を振り返ることは、時間の流れに「楔」を打つ行為。一日の振り返りでもそれは同じ。楔を打ちつつ、前に進んでいく。
筋肉痛の知的活動バージョンもあるのではないか
自分の語彙を確かめることで、自分の世界観を知ること
〜〜〜ここまで〜〜〜