2025/4/3
@tobatoppers: 憧れの人をそのまま真似てみても、それは所詮自分のやり方ではないからうまくいかない。相手の意識の流れや欲望の使い方に触発された結果、自分の欲望の風通しがよくなると、いつのまにか自分なりのうまくいかせ方が見えてくる。 『ライティング教育の可能性』 =>気になっている本
各国のアカデミック・ライティング(書くこと)の教育的広がりや深みについて、さまざまな立場・角度から探究し、その可能性を示す。
2025/4/14 発売
@ssuge: 成果がすぐに出なくても焦らない。小さな達成に一喜一憂しない。一見無駄だと思えることをめんどくさがらずにできるだけたくさんやる。毎日コツコツやる。人に評価されることを目指すのではなく、自分だけがその価値を信じているようなものに飛び込む。別解を探す。とにかく没頭する。 読書メモのページにinfoboxを追加。すると、その日の読んだ感想をリンクして書き込むと、infoboxで抽出できる。
わりとよさげ
タスクとも呼べない何か
人生の多くは、タスクとも呼べない何かでできている
「タスク管理」を仰々しく(あるいはかっこうよく)考えると、そうしたものを取りこぼしてしまう
むしろ「タスク管理」においては、そうしたものを「タスク」に含めて扱うことが必要
日本語だったら「やること」くらいの語感でいいのかもしれない。
少し話はそれるけれど、個人的に幸福は、その境地に至った時点よりも、むしろ幸福を目指しているプロセスの最中のほうが幸福な状態ではないかと思っている。
一つ思うのは、幸福と満足と興奮と希望は等しいのか、という点。あるいは幸福と幸せは同じか。喜びはどうか。
で、人(というか脳)は差異に反応する。同じものには注意を払わなくなる(慣れともいう)。何かに向かうプロセスは、変化の連続であり脳は常に新しい情報を受け取っている状態だと言える。一方で何か完成した後の継続していく生活は安定の連続であり、脳は新しい情報を受け取っていない状態だと言える。
この差をどう評価するのか。
不満の欠如と、ある精神的な状態を有していることの違い
複数の言葉の対義語をちょっと考えたい
現状について不満があるが、それを歯を食いしばって変えていこうとするとき、人は充実感を覚えているが、まさに「幸福ではない」からこそ変化を求めている、ということがありうる。
もちろん、ここでは「幸福な状態とは何か」を定義しないと話は始まらないが、一般的に私たちが日常用語としてそれをどのように使っているのかを分析の基盤としてもよいような気がする
素朴哲学、とでも名づけようか。
もしも世界のポピュラーな言語がギターだったら、ギターを第1言語としない日本では、学校でのギター教育が課題に。以下、いろいろな試行錯誤を繰り返す。
https://open.spotify.com/episode/2bJODi7ifW9srkey7OOnNK?si=9Yne30anSLyJTXkKRJ9jNg
ペイウォールがもたらす情報格差
無料でアクセスできる範囲はゴミのような情報がそびえ立つことになる
rashita.icon生成AIへの課金はどれくらい一般的になるだろうか。
古い本のほうが中に書かれたことを発見しやすい逆転現象
いずれすべての本が中身を読む前に検索して探せるようになる
Google検索アルゴリズムの基礎「バックリンク」が本の世界でも可能に
中身の薄い本は読まれる前にバレる
本当に重要な読む価値のある本が選びやすくなる
rashita.icon書き手はそうした環境の変化を受けて、どのように執筆を進めていくのがよいだろうか。
まずは見出しだけ確認した。
Knowledge WalkersのDiscrodで、「どう読んでいるのか」を開示しながら進めていくことに(可能な限りにおいて)
https://gyazo.com/da956aa41533874a25648c78d4bd03fd
万年筆を新調。
https://gyazo.com/61eb91611d2054b62e483e8cc23be431
「実に面白い」とかも使えそう
「さっぱり分からない 」とかも。
ある種の包括性が、運用を楽にする
グレーゾーンが許容される
オブジェクトの性質ではなく、自分の注意の状態をキーとする
わかりきっていることではあるが、140字は短すぎる。
いろいろ削除して残り800タグまできた
Evernoteを整理していたら、懐かしいページを発掘した
どういうノートを作っていたのか、というのがその時代の自分の注意・関心を示す
それらが積み重なることで自分の注意の地層が生まれる
乱発されるタグは、それを表すものだが、問題はそれが「地層」には見えない点にある。時系列の流れがアルファベット順のタグリストでは見えてこない。
なんというか、Cosenseでちょこっと書かれるノウハウの話が非常に面白い。
noteのそれは、全体的に面白みが薄い。
えむおーさんの『庭の話』の話で、実際は支配できているわけではないのに支配できている感じを持ってしまうことの危うさが語られていたが、生成AIによって「知識」を支配しているかのような錯覚が強まるとしたら、そこでも問題が生じるだろう。 形式が強固であれば、中身がころころ変わっても問題ない。形式に適合するように整えれば、とんでもない中身を注ぎ入れることも可能になる。
断絶感の連続
自分を位置付けているものを否定()拒否するのは困難
〜〜〜以下、思考の断片メモ〜〜〜
間違った生き方と生き方を間違えること
現代におけるノウハウ情報とのつき合い方がどう考えても健全なものではないと感じているので、そのことについてはしっかり考えをまとめていきたい所存。
ノウハウ本で書かれていることが「そのまま」役に立った経験はほとんどない
一方で、そうしたノウハウ本が役に立たなかったか、というとそういうこともない。
その間にあるものを考えたい
何かに加重するものとして、「おもり」と「おもし」があるが語感が異なる
「人間であること」の意味が重くなりすぎて、その重さに耐えられなくなる、ということがあるのかもしれない。
生活を早くすすめ過ぎないように、生活におもし/おもりを持つ
〜〜〜ここまで〜〜〜