2025/4/20
本日は日曜日
午前中に歩いて図書館まで
やはり往復30分ほど
証券会社を謳って`"hogehoge.top"にアクセスしてログインせよ、というメッセージが来た
そんなドメイン怪しすぎて真実味がゼロ。
2 hop 的目的
雑誌とは何か、雑誌的とは何か
哲学では、何かを道具的に使う「目的」というのが批判の対象になることがある。
しかし、目的という概念がすべて邪悪なものだとはとても思えない
倉下が日常的に行う「本屋に行く」はどんな目的を持っているか
特定の本を買いに行く、ことがない場合にでも行く
何か面白そうな本に出会えるかもしれないし、そうでないかもしれない。
具体的な中身があるわけではない。このようなとき、これは(直接的)道具的とは言えないのではないか
雑誌を読む面白さは、それぞれの雑誌の編集的方針から「概ねこういうジャンルやトーンのコンテンツが読めるだろう」という期待感を持ちながら、具体的にそれが何なのかはわからないという欠如が伴う期待も含まれる、ということではないか。
もちろん、目当てのコンテンツがそこに含まれる、ということもある。
もちろん、他にも雑誌的なものの面白さは分析可能だろう。
この確認を踏まえると、うまくいかなかったログは、本来の目的とはちがう形ですが、没メモならではの情報価値があるかもしれません。
「没メモならではの情報価値」は、まず二つ考えられる
思考のプロセスが保存されていること
なんか違うなと思ったときに、「捨てられる」こと
後者に注目する
多くの場合、自分が思いついた、考えたことに価値を感じてしまい、それがしっくりこなくてもなかなか捨てる判断ができない。結果、それを残してしまって全体の論調が不調になってくる。
Tak.さんの「未使用」項目はそうした事態への対処方法の一つ | 捨てないで捨てる はじめからすべてがログとして残っているならば、議論をどう組み耐えても、もともとの思考は保存されているので、自身のサンクコストを刺激しないで済む。 今日耳につけたら音がちょっとだけ良く感じた。耳のどの部分につけるかの微妙な具合で音がかなり変わってくるらしい。そりゃそうと言えばそりゃそうだが、逆にふだん耳から音を聞いていることのすごさを感じる。
今日耳につけたら音がちょっとだけ良く感じた。
耳のどの部分につけるかの微妙な具合で音がかなり変わってくる
そりゃそうと言えばそりゃそう
逆にふだん耳から音を聞いていることのすごさを感じる。
文章ベースで書くタイプと箇条書き(リスティング)を使うタイプ
https://gyazo.com/761a0c922f4fd1554f643d3350d64ef2
読み返したときに、どういう違いがあるか?
とりあえず、行数の数(高さに締める割合)が違うことは明白
一行の長さが違うので(リズムを含んだ)「読む」体験も違ってくる
たぶんObsidianでログを書くときは、前者になりがちではないか =>❓
たとえばごきげんやこだわりについてここ数日考えてきた。日ごとノートを読み返せば、その痕跡を辿ることができる。直近はその「辿り方」ついて思索を重ねてきた。一方でたとえば、そうした痕跡を列挙できればそれでいいのだろうかという疑問もある。たとえば、ここまで書いてきた行をコピペして新しいページにペーストされたら、それで「終わった」と言えるだろうか。もしそうでないとしたら、具体的に何が必要になるだろうか。 これはCosenseだけの話ではない。WorkFlowyを使っているときでも同じ。
たとえば、関連する項目を見ていって、それを一つの項目に移動させてグループを作ったら「はいOKです」と言えるだろうか。その抽出やグルーピングが機械的に行われるか、主動的に行われるかにかかわらず、単に項目をまとめただけで「思考」は前に進んだと言えるか。 | 押し入れに荷物を突っ込む型の整理 | 一時しのぎの整頓
間違いなくノーだろう。であれば、それをイエスにかえるためにはどんなアクションが必要か
ここで再び梅棹忠夫に戻ってくる。必要なのは言うまでもなくカードをくることだ。カードをくり、新しいことを考えること。そのカードを書くこと。そうした動作をサポートする方法が必要だ。 最終的に走り書きメモを扱うためのツールを自作することは目標として、現状はCosenseでどうやっていくかを考える。
どのようにすれば、新しい思考を生み出せるか、次なる思考を駆動させていけるか
どんなページをつくるのか
テーゼカード、クエスチョンカード、研究ノート、スレッドノート
テーゼカード
ex.「こだわりはごきげんを構成する」「ごきげんにはこだわりが必要」
セルフプロンプトとして一番強く機能するのがこれ
しかし作るのに一番労力を使うし、うまく作れるとも限らない
テーゼカードを作ったら、それをどこかに位置づける
複数のテーゼカードを起こしてもよい
クエスチョンカード
ex.「こだわりを持つことは人生に何をもたらすか?」
ex.「充実感を持って生きるには何が必要か?」
ex.「僕たちはいかに生きるか?」「僕はいかに生きるか?」
研究ノート
ex 「幸福とごきげんとこだわりについての研究ノート」
できるだけ包括的な名前にしておく方がよさそう。「幸福についての研究ノート」だと限定的すぎる感じがある。
スレッドノート
複数のプロジェクトでやりとりしていたものをまるっとコピペすることで、スレッドを構築できる
自分だけのスレッド、複数人のスレッド
ex. 「ごきげんについてのスレ」
これはあくまでログを読み返すためのノートであり、内容を整理するためのものではない
「まとめノート」に二つの含意があるな。整理としてのまとめと、整頓としてのまとめ。
基本動作がコピペだけなので作るのは容易
研究ノートは、テーゼカード+スレッドノート+参考文献リストで構成されるのではないか?
「生き方」を小難しく言い換えたもの
「ご機嫌に生きる」はそうしたメソッドの一つ
「退屈しないで生きる」とのつながり
「ぎくしゃくして生きる」も同様。
「こだわりを持つこと」は、セルフ・カルチャーを育むということ
カルティベイト
何が最上位概念なのかは現時点ではわからない。
幸福論は、結局「いかに生きるか」という話であり、倫理やそこからの政治哲学も同様。生きることのメソッドにつながっている。
いかに生きるかは、倉下のビッグ・クエスチョンと呼んでいい。
「僕はいかに生きるか」と「僕らはいかに生きるか」という二種の問いがありうる。
「僕」について考えて、「僕ら」に敷延する
「僕ら」について考えて、「僕」に具体化する
問題はいかに生きるかというタイトルのページを作るのが適切なのか、もう少しメタ情報を付与するのか。つまり、〜〜の研究ノート、などにするのか。あるいはビッグクエスチョンであることを示す接頭辞などを付与するか
上のブロックが一つの思考である。それをどこに位置づけるか。
ビッグ・クエスチョンの検討というページとして切り出してもいい
生きることのメソッドについての思索というページとして切り出してもいい
倉下が手書きノートを使っている感じなら、こういうページを作ることになる
上の二つは、まず小さくまとめ、そのページをさらに上に位置づけることになる
そのまま🗂️倉下忠憲の事語りにはりつけてもいい
いきなりトップに持っていき、そこから必要に応じて切り出す
Cosenseの日ごとノートでは、位置づけを意識せずに考えを書くことができる。それが魅力。
Twitterも同様。上位概念、コンテキストへの配慮を抜きにして、まず思ったことを書ける
当然それだけでは「まとまり」はない。次のアクションが必要。
ビッククエスチョンはどう扱うか?
大きな問い
別の言い方: ラディカル・クエスチョン、グランド(グラウンド)・クエスチョン、ルート・クエスチョン
どちらも「種を育てる」というメタファーと相性がよい
それぞれのメタファーによって、扱われ方が変わってくる
ラディカル=ルートとできそうなので、まとめておく
いかに生きるかは、グランド(グラウンド)・クエスチョンか、ルート・クエスチョンか
知的探求の基盤となるものか、そこからさまざまな問いが発生してくるものか
知的探求の基盤となるものは、「〜〜について知りたい」という気持ちだろう。
その方向性が、グラウンドだとする。
その土壌に、種が植えられていく?
ルート・クエスチョンが複雑に絡まり合うページのこと。
知的探求の基盤となるもの。
さまざまな問いへと発展していく問い。いわゆるビック・クエスチョンを根というメタファーで置き換えたもの。
日ごとノートの運用の指針まとめ→明日へ
思考停止という言葉を避ける→明日へ
https://gyazo.com/f266cbddd81fb123e1fd507aec40e84a
いちご、350円なり