2025/4/21
今日は月曜日
モンテール こだわり素材のエクレア カスタード
https://gyazo.com/c10f1e2a7462a68045838495d4b81025
以下、2パターンの記述を試す
決意=>昨日書ききれなかったことも、今日改めてコピペして取り上げることにする
この本は内容をまとめたい
https://gyazo.com/3b9b9a6196a4956ad7244051007ba7a3
道具とは環境である
環境は行動を促す
道具とは環境のうち、自分で取り換えられる部分のことである
ページタイトルの変更。
Thinking Aloud かっちょいい
自分が興味を抱いている対象のリストを作るのはまじでオススメ
一年の終わり際にリストを振り返ると、良さがしみじみ感じられると思う。
生産性のない会話をしたい
生産性のない会話とは何か?
「男性」は、言い過ぎであれば少なくとも私は会話に意味を求めてしまう自覚がある
これは私もそうだ。
ところで、「会話に意味を求める」が「生産性のない会話」へと展開されているが両者は同一の概念か
生産性のない会話=(≒)意味のない会話 ?
ここでの「生産性」や「意味」は何が含意されている?
もちろん、言いたいことは十分理解した上で(さらに同意した上で)、言語的分析を行っている
誰かのゴシップを延々と話してそれで終わり、というような会話がある。あるいは誰かの愚痴を言って終わりというような。そうしたものは会話がなされたからといって、現実的な変化があるわけではない。よく言われる用語であれば、グルーミング。あるいは、歩いているときにすれ違って天気の話をするのは、礼儀(あるいはプロトコロルの確認)のためであろう。言い換えれば、何かしらの役割を持っている。その意味において、「意味」はある。
私が今日パフェを食べてきたことを書くことに生産性はない
ないのかもしれない。しかし、仮に私がそのパフェを食べたくなったらどうか。実際にそのお店にいってそれを食したとしたら、あるいは別のパフェで我慢したとしても、何かしらの作用はあった、と言える。あるいは、一週間後に振り返って、自分の人生についてしみじみよいなと思ったり、あるいは唐突に日本社会におけるパフェの普及の歴史を調べたくなったりしたらどうか。
もちろん、極端な例を挙げている。
考えたいのは、「今日パフェを食べてきたことを書くことに生産性はない」とするならば、何を書けば生産性があると言えるのか、ということ。この問いは「そもそも本を読んだと言えるのか」という問いと同じ水準で働いている。その線引きはそこまで明確なのかという疑問。
「業務において、自分の成果物を生み出す直接の役に立たない」ということが「生産性」という言葉で省略されているならば、たしかにその通り。しかし、その短縮はやや危うい気もする。
それはそれとして、「やりとりにおいて結論を求めず、ただ話したいことをそれぞれが話すだけの時間は、一見無意味に思えるけども、やっていると楽しいよね」なのは間違いない。
ダラダラだべりたい。
問い:「さあ、雑談しましょう」という促しは、その定義からして有効と言えるだろうか
セミナーやイベントの後の懇親会が楽しいのは、クラスタを共有する人たちと雑談できるからだろう
ああいう時間では全時間帯を通した共通のテーマがない。話題は次々と移っていく。そこは雑誌的だと言えそう。
こういう記録は並べてみると凄みが出てくる
何でもありですが、しかし目標の類は書いていません。今自分がいる状況についての事実だけを書きます。(でも目標を書いた方が元気になれる人はそうした方がいいと思います。)
「元気になれる」という表現がよい
ごきげんに近しい雰囲気がある。
ごきげん、げんき →がぎぐげご、でアクロニムが作れないか? がんばる
ぎーくに
ぐぐれ
げんき&
ごきげんに
(無理が多い)
一日が終わったら、「Hot Board」の埋め込みを残しておく必要はないのでその日のDaily Noteからリンクを除去します。「Hot Board」は大きく場所を取ることになるため、そのままにしておくと下部のバックリンクなどが確認しづらいからです。
参考にしたい
と思ったがよくよく考えれば、日ごとノートの今日のページに「考え事」を一番下に置いているのはまったく同じ発想だ。
目に触れるところに置く
用済みなら消していい
この二つの運用パターンが活きている→デジタルノートの運用パターン
他の状況でも使えないか考えてみる
有料記事がプレゼントされました! 4月22日 12:29まで全文お読みいただけます。
ひどすぎる
https://open.spotify.com/episode/46tGCOHI8svImNpGHyJ9TV?si=QT0QsLtxT0S0IXXjSOP83w&context=spotify%3Ashow%3A25TarYSEudIF6UFSHgRvIS&nd=1&dlsi=56ad06977c4240a6
4/23 はサン・ジョルディの日
スタイルを持つことについて
これはこだわりを持つことについてと同様の文脈で受け取れる
哲学を持つこととも言い換えられる
一瞬ツールの名前があべこべの世界に入り込んだのかと思うくらいに倉下とは逆の印象だった。
思い出したいものは、目に触れるところに置く
用済みなら消していい
絵文字を有効につかう(接頭辞の発想)
グラウンドページの運用
昨日一日中考えて、十分な結論が出なかったが、睡眠をとったことで少し輪郭線が見えてきた(妖精さんのお仕事) まず、グラウンドページとなるページを作成する。現状であれば[🗂️倉下忠憲の事語り]がそのページになる
そのページは、自分の知的好奇心の土壌・基盤となるページを目指す。さまざまな問いがそこに記述されていくことになる
そこで立ち現れてくるものはなんだろうか? TOC? INDEX?それとも他の何か?
この構造は、CosenseだけでなくWorkFlowyでも役立つだろう。
一週間などあるスパンで着想を振り返ったときに、このグラウンドページにどのような問い(文章)を追加できるのかを考えるようにする。まずはそれだけで十分だろう。
上のブロックのうち、一行目だけは「今日のノート」であり、それ以外の行はいつでも参照される(≒時間を超えた)「概念ノート」を構成する。最初はこのように混ざり合って記述する方が楽(思考を分別しながら書くことは負荷が高い)。
アナログノートの手軽さ
たとえば、家政のことがごちゃごちゃしてきたのでいったん整理したいなと思ったとする。直近で買い足したいものがいくつかあって、しかし予算は無限ではないので必要なものをリストアップして必要性の高いものから買っていこう、みたいなことを考えた、とかそういうの。そんなときは、お店にいって200円くらいの新しいノートを買ってくればOK。そこに関係するものを書き出していけばいい。でもって用途を終えたらそのノートは捨てることができる(押し入れに放り込んでもいい)。ここまでの機動力の高さがデジタルノートにあるだろうか。本来は「ある」はずなのだが、私たちの使い方の傾向がそういう機動力を阻害してはいないか。
「自分なんて」の適用場面(★)→ミニエッセイ
「いえいえ、自分なんて」という謙遜は概ね有用だろう。油断といったことも減るに違いない。
「自分なんて、そんなことをやる資格はない」というのはあまり有用ではない。その資格はメタファーに過ぎないから(もちろん、電気工事の資格を持っていないのにそれをやれと言われたときには有用な発言だが)。能力の高さや経験を理由に、行為にチャレンジすることそのものを拒否するのはなんか違うだろう、ということ。だって、下手でもまずやってみないことには経験は得られず、経験が得られないなら能力の向上はありえないのだから。
情報整理についての企画案
これまで見知った手法を並べるだけで構成はできる
案2:「整理・整頓」のような項目を立て、それに関連する手法を紹介しつつ考えを述べる
他にはどんな項目が立てられるだろうか?
整頓は形だけを整えることで、情報には形がないのだからそれも自然ではある
しかし、情報整頓と呼びうる処理はたしかにありうる。
導入から応用まで(導入から構成まで)
基本となる指針
日ごとノートの運用の指針まとめ←昨日から
まず雑多に書いていく(思いをそのままに書き出す)
その後整える
深い階層をできるだけ浅くするように
ページ内の順番の移動
行動的なものは上部に集めておく
新しいページへの切り出し、既存のページへの追記
プロジェクトなどは新しいページへの切り出しや追記でいいが、「考えたこと」をまとめる場合は、自分が書いたことを見返しつつ、新たに書き下ろすように努める
思考停止という言葉を避ける←昨日から
思考停止という言葉を使ってしまうことで、それ以上思考が進まなくなることがあるのでそれを避けたい 僕たちはしょっちゅう思考を停止させているし、それは別にネガティブなことではない
また、逆に言えば、僕たちは環境の情報をフル活用しながら常に思考しているとも言える。だとしたら、そもそも思考停止という言葉が意味を無くす(寝ているときですら、人の体全体は何かの思考を行っている。でないと妖精さんのお仕事は発生しない) 思考が停止するのではなく、その対象について、それ以上つっこんだ意識的検討が行われない、という状況を表す言葉を置きたい
壁にぶつかるようなイメージ?
判断停止という言い方ならば、ぴったりという感じがする。判断という列車が終着駅に辿るついた感じ
追加の判断はもう行われない
Cosenseについて
Cosenseはページタイトルを書き換えてもリンクが途切れないように置換処理が提案される
「New page」で切り出すときに、すでにそのページがあるなら追記になる
日ごとノートを、1ページではなくて1バインダーだと捉えてみる
日ごとノートは、メタファーとしては一日用のページ、綴じノートというよりは、ルーズリーフやノートパットの一枚という感じ。
そのメタファーを上にずらす。つまり、日ごとノートのこのページを一冊のバインダーだと考える
ページだと、上から下に記述が並ぶだけ。バインダーならば、上から下(前から後ろ)に書けてページが並んでいる。実際、それぞれの日ごとノートは、その日の記述+別ページへのリンクが並んでいる(→Linklog) これ自身がページであり、またページへのリンクを含むという意味でメタページである。なにで、アナログノートの比喩はどうしても限界がある
以下、2パターンの記述を試す
WorkFlowyは構造的にはアウトラインであり、データ的に見ればネットワークだが、それをハイパーアウトラインと呼んでみるのはどうか。
WorkFlowyは構造的にはアウトラインであり、データ的に見ればネットワークだが、それをハイパーアウトラインと呼んでみるのはどうか。 上の記述が、バインダーだと捉えた書き方、下の記述が一枚のページと捉えた書き方。あるいは前者がカード的、後者がツイート的。
お昼
https://gyazo.com/c88c492c4ade39d85f570780c430fcb9
昨日のノートを読み返しながら、概念とページの整理を進める
日ごとノート、月ごとノート、年ごとノート
書いたことのコピペではなく、書いたことから考えることを意識する
いきなりページが作れないなら、まず日ごとに「考え」を書くことをする(プロセスを発動させる)。その後、書いた内容から整理したページをつくる
知の痕跡としてのメモ(走り書きメモ)
基礎的なトレーニングを省略せず丁寧に行うことの重要性
見せるための筋肉ではなく、使うための筋肉を鍛える。結果それは全身の筋力をバランスよく鍛えることになる。
自分で自分のコーチになる、という感覚の重要性。「やめる」という自律性を常に維持しておくこと。
これらの点は、筋トレ以外でも有用だろう。個人的には知的トレーニングに応用してみたい。
未来を思い描くために、過去を振り返るのは有用
というよりも、過去を振り返るとき、未来への展望が胎動しはじめる
「これまでこんな本を読んできた→さて、これからはどんな本を読んでいこうか」
この連想は、過去の出来事をビッグデータとして、そこから統計的にありえる未来を描写するのとは決定的に違っている。なぜなら「今後もこんな本を読んでいこう」と思うこともできれば、「今後は違う本を読んでいこう」と思うこともできるから。そこには意志が介在する可能性がある。
意志、という表現でなくてもよい
二つのものを結ぶ、A→Bの「→」をいかなるものとして置くのか(デザインするのか)
マネジメントとデザイン(💡)
ウィトゲンシュタインの言語ゲームという感覚は、自分たちの言語しか知らないとまず見出されない感覚だろう。 当たり前だが、一行+インデントして内容、という書き方をしていると切り出すのは容易になる。
noteのアナログノート連載では、ルーズリーフについてしばらく書くことにしよう
読むにさまざまな形があるならば、書くや考えるにもさまざまな形があるだろう(💡)
そのページにinfoboxを書けば、関連ページは消える。
infoboxを書いたり消したりすることで、関連ページのオンオフをコントロールすると何ができるか?
たとえば、一日の最初はinfoboxを書いて、終わったら消す(あるいはその逆)など
生成AIでアウトプットが加速!とかいっている人、だいたい情報を盛り込む傾向がある。
二郎系アウトプット
二節目くらいでもうお腹いっぱいになる。
情報の重みづけが機能していない(一番言いたいことは何か、という観点での編集が為されていない)
強い決意のもとでトンカツを作る
トンカツとハンバーグは決意が必要
お安い豚肉でつくったトンカツ
https://gyazo.com/8a0d01d054493e31d932f94716fb7046
小説(物語)・音楽(リズム)・スタイル?(💡)
「本を読み終えたら、その本をどこかに位置づける」→どこにどのように書くのがよいのか
『完全図解版 プリズナートレーニング』という本は、まず「知的トレーニング」というものを考える上で役に立つ本だと言える。これが一つ目の文脈。次に、たとえばデジタルノートを使えるようになる( | デジタルノートをどう育てていくか)というノウハウを考えるときに、トレーニングの考え方を適用できる。これが二つ目の文脈(もちろんデジタルノート以外のノウハウにも適用可能)。とりあえず、この二つの文脈が想定できる。
その想定を、Cosense上でどのように表現するか?
あるいはその二つを統合的な文脈として整理する?
たとえばそれはメタ・ノウハウということになるだろう。
つまり、採用する粒度によって、「デジタルノートの訓練」とより具体的に位置づけることもできれば、「メタノウハウの研究」とより抽象的に位置づけることもできる。それをどう判断するのか。
たぶんだけども、上の思考をそのまま(もう少し整理して)書き、必要に応じてリンクするのがよさそう。
これはまた明日やる